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ノスタルジア

監督 アンドレイ・タルコフスキー 1983年 イタリア・ソ連合作映画

ノスタルジア 描写が素晴らしい。しかし冗長さも伴っている。そして物語は特異だ。ロシアの詩人アンドレイが取材のためにイタリアを巡り、少し俗っぽい通訳の女性や狂信的キリスト教徒のドメニコとの交流が主に描かれるのだが、ドメニコはローマで意味不明な演説をした後焼身自殺し、アンドレイは世界を救うために温泉を蝋燭を持って渡る。不可解であり独創的だ。

 この映画では主人公アンドレイの過去の夢や幻影が何度も現れる。それらの描写はほとんどの観客に冗長さを感じさせるだろう。その映像は描き方や題名からも容易に郷愁と結びつくのだが、それは記号的な結びつきであって、観客自身に郷愁を感じさせるような表現には高められてはいない。映画の末尾に置かれた献辞にも見られるようにかなり私的なもののようだ。タルコフスキー個人には意義深いものだろうが、観客にとっては美しい映像に留まっていて冗長さを感じさせずにはおかない。

 しかし、この映画はそれでも尚描写そのものの魅力で緊張感を繋ぐ。
 同じシナリオを使って2時間の映画にできる人はなかなかいないだろう。それだけ見る価値のある映像、聞く価値のある音響で映画が満たされている訳だが、そもそも他の監督はそんなことをしたいと思わないかもしれない。『市民ケーン』の頃のオーソン・ウェルズなら20分で消化してしまいそうだ。

 回想シーンが観客の興味や感情を引き出すことがないという面では退屈だが、一方で映像や音響は益々研ぎ澄まされる。偏執的な程だ。
 窓や洗面所の風景を額縁のように縁どり、絵画のように浮かび上がらせる構図と照明。3人の女が現れる幻想的な夢では、同じカットの中で照明が徐々に一部を照らし、一部を暗くしてゆく。それが実に自然に行われて、美しく暗喩的な絵を生み出していく。光源の反射もなく底まで透き通る水の撮影。特に素晴らしいのはドメニコの家で見る室内と窓外の景色が一体となった故郷の風景、廃墟の中にある故郷にアンドレイと犬が佇む風景だろう。現実と夢、現在と過去、内と外などの境界がない。その分節化を拒否する曖昧さと漠然さが観客を恍惚とさせる。それは滅多にない映画のもっとも映画的な魅力の一つだ。
 音の演出も素晴らしい。様々な音色の雨だれ、遠く何かが軋んで聞こえてくる音、テープによって歪むベートーベン、男の断末魔の叫び等々、音の演出は繊細を通り越して神経症的と言っていいレベルだ。観客は極度の緊張を強いられる。
 これらの素晴らしい描写は映画全体に過去と現在を等価にするような幻想的な雰囲気をもたらし、何を語っているのかもよく分からない不思議な物語を注視させる。

ノスタルジア 希薄な物語は奇妙で、しかし魅力的だ。ドメニコの思考や行動は誰にも理解できないが、どうやらアンドレイは何か感じるところがあるらしい。蝋燭に火を灯して温泉を渡ろうとするくらいには。彼にとってドメニコは狂気の人ではなく信仰の人だ。ただでさえ少ない構成要素でできた閉じた世界の中で、主人公の視点からその狂った世界観が肯定されていくと、圧倒的な描写の効果も相まって、我々観客まで彼らの世界観に侵食されてしまいそうになる。果たして人類は救われたのだろうか?
 タルコフスキーの描く狂気はどうやら作品ごとに徐々に昂進しているようだ。

 ドメニコは映画の登場人物としては面白いが、近くにいたらちょっと危なそうだ。彼の主張は意味不明で宗教的狂気に満ちている。彼を理解し、共感できる人がいるとすれば、その人は同じように多少なりとも狂っているのだろう。アンドレイのように。ドメニコはなぜ世界の終末が近いと思ったのだろう? そしてなぜ温泉を蝋燭の火を消さずに渡り切れば世界が救済されるのか? 狂人の言うことは魅力的で困る。

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