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『ゴジラ(1954)』強烈なキャラクターの確立と丁寧な演出

監督 本多猪四郎 1954年

 ゴジラの映画であり、いわゆる怪獣映画だ。観客にとっては見たことはなくとも「ああ、あのゴジラね」と見る前から何となく分った気になるものだが、この映画はとてもよくできていて今見ても面白い。勿論1954年に見るインパクトには及ばないが。

ゴジラ まず作中の人物たちにとってゴジラを未知の存在として描いていくのがいい。観客も作品の展開に合わせて彼らとともにこの作品世界におけるゴジラを徐々に知っていく。最初は被害だけを見せその原因を見せない。その後、これは台風の被害ではなさそうだ、などと伝聞から始めて徐々にその正体の全容を見せていく。そしてその経過の中で様々な人間のリアクションを丁寧に描いていて、架空の生物の実在感をきちんと演出し終盤まで緊張感を保っている。
 現在からすると古びて見える特撮も映画のリアリティが現実の単なるコピーではないことを教えてくれている。
 ゴジラのキャラクターについても人間が作った水爆によって生まれたとする設定や生物学者の視点を取り入れたことなどによってゴジラを単なる怪獣にはしていない。ゴジラは破壊者であるとともに人間の罪の告発者であり、幾分かの悲しみも背負っている存在だ。巨大な怪獣がそれらの属性を持ったことでその後数十年間愛され続けるキャラクターとなったのだろう。

 ただ陳腐な部分もいくつかある。
 まず、戦闘機の攻撃がゴジラに当たっているように見えない。この描写ではここで人々が無力感に苛まれるという展開に無理があるし、ゴジラの強さや怖さも削がれてしまう。
 また頑なな科学者がテレビで見る被災状況と女学生の歌であっさりと心変わりしてしまう安易な感傷性。
 一番酷いのはオキシジェン・デストロイヤーという超兵器の登場だ。せっかく丁寧な演出によってゴジラの存在を観客に信じさせたのに、更にそれとは別の架空の存在を平気で出してしまう。ここでは演出でリアルに見せる工夫も全く見られない。1人の科学者が極秘裏に新兵器を開発するという非現実的な展開とその新兵器の荒唐無稽さが作品のリアリティのレベルを著しく押し下げている。ちなみにこの新兵器はその科学者の個人名を冠した研究所兼自宅の地下室で開発されたものだ。ここまで人間側の描写はゴジラという虚構を支えるための現実として機能していたが、その役割は放棄してしまったようだ。脚本家はどういうつもりだったのだろう? この調子なら地球防衛軍が出動しても不思議ではないかもしれない。

ゴジラ しかし新兵器以外はそれ以上エスカレートすることなく、その新兵器も核兵器と同様のジレンマや開発者の苦悩とともに描くことで意味的には自然な形で作品世界に導入している。そしてその殺戮兵器を巡る葛藤はゴジラの象徴性をより高めてもいる。
 後のいわゆる怪獣映画よりリアリティの水準は高く、決して映画を絵空事にはしていない。ゴジラは暗喩的な存在感を持ち、怪獣映画というカテゴリーを外しても十分楽しめる映画だ。


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