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『天国と地獄』(1) 多様で充実した表現

監督:黒澤明 出演: 三船敏郎・山崎努・仲代達矢 1963年

 非常に重量感のある映画だ。
 人間心理の深奥にある暗く重い情念を描いた内容、必要な情報を大量に入れ込みながらもスリリングに展開する脚本、静的な室内シーンと動的な列車シーンなど、場面によって異なる多彩な演出とその鮮やかな対照、背景音楽を抑制し現実音を利用する音の演出等々。これほど贅沢な映画はちょっと他にないかもしれない。
 もし映画というものを知らない人に映画とはいかなるものかを紹介するとしたら、この映画を見せるのが最適かもしれない。そのくらい多種多様な映画的魅力が詰まっている。

『天国と地獄』夕方から夜への推移を捉えた時間の写実描写
  夕方から夜への推移を捉えた時間の写実描写
 ファーストシーンを含め特に前半は充実している。背景音楽を排除して、ほぼ権藤邸内だけで進行する展開、省略をまったく含まないリアリズムの徹底された長い長い1シーンの連続。それらが表現を蓄積し意味を充実させていき濃密な映画的時間を作り出す。

 まず目を見張るのは時間の描写だ。冒頭、暗い室内とそこから見るまだ明るい横浜の街。権藤が部屋の明かりを点けてから、重役たちや妻、河西との話し合い、家の内外を駆け回って遊ぶ純と進一などが描かれていき、権藤の妻がソファーに座ってふと外を見ると街はもう真っ暗になっている。この夕方から夜への時間推移を捉えた描写が実に魅力的だ。権藤が警察に電話するカットまでのおよそ20分間がほぼ1シーンで構成され、時間が全く省略されていない。実際の時間経過を写実的に写し取っているからこそ生まれる魅力だろう。

 その前景では終始会社の主導権をめぐる戦いが展開して観客を一気に映画に引き込みつつ、その中に権藤の強引さと職人的な誠実さなどをはじめ各人物のキャラクターや、5千万円の持つ重大な意義、子供たちが服装を入れ替え権藤の妻が二人を間違える様子、2台の電話の存在などが何気なく描かれていく。

 映像が時間を表現し、脚本は助走なしで物語を展開させ、その中に人物や状況の描写、先の展開に必要な情報が織り込まれている。1シーンの中に詰め込まれた表現要素の多さとそれらを明確かつ魅力的に見せきる巧みさはプロフェッショナリズムの極致だ。

 そしてそこから一気に特急こだま号の疾走につながる構成。ここでは一転して全てが激しく動いている。物語における権藤や刑事たちの焦燥、映像面での流れ去る車窓の風景、揺れる車内とあらゆるところに反射して走る光。そこに列車の汽笛、激しい走行音、酒匂川の鉄橋の轟音など音の演出が同期する。背景音楽の不在が音の衝撃を最大化し、それらすべてが渾然一体となった表現は圧倒的な迫力だ。

 次の権藤が進一を取り戻す場面で映画は初めてフェードアウトして明確に前半部を綴じる。
 その見事な描写の力は言うに及ばず、前後半を截然と分け、長く静的な室内シーンに短く激しい列車シーンを繋げて即、結部に至るなど、急激に加速していく構成も実に効果的で、映画はここまで全く隙がない。


『天国と地獄』場所・位置関係に見られるリアリズムと表現主義的な描写
 場所・位置関係に見られるリアリズムと表現主義的な描写
 後半部では開始後すぐに犯人を描写してミステリー要素を捨ててしまう。この映画は推理劇の面白さよりもっと他に描きたい内容を持っているようだ。

 警察が犯人を特定し逮捕に至るまでを大規模に詳細に描き出す。捜査の様子は個々の刑事の報告と同時進行で画と音によって描かれて強い説得力を持ち、その過程からは都合の良い映画的な嘘が完全に排除されている。シナリオ、撮影とも作品世界における現実性を厳格に守り続け、非常に重厚な印象を与える。
 犯人である竹内の部屋からは実際に絶妙な角度で権藤邸が見上げられ、魚市場で刑事が聞き込みをする後を車が水飛沫を上げて通り過ぎる。

 雑多な人種が入り混じり混沌とした根岸屋や黄金町の路地裏での強烈なコントラストと女が壁を掻き毟る擦過音など、描写そのものの魅力も健在だ。病院の焼却炉では汚い格好をした藤原釜足が怒鳴るように語り、終始瓶やブリキなどで不快な騒音を立てている。

 中でも、喧騒に満ちた伊勢佐木町から一転して静かな腰越の別荘につながる場面転換と描写には映画的快感が溢れている。
 月明かりに照らされた静かな夜の海、揺れる花々…。場違いに美しいショットが唐突に置かれている。何の変哲もないカットの繋ぎが前後のショットの異質さを際立たせて、おそらく映画の中で通常のカット繋ぎが最も魅力を輝かせた瞬間の一つだろう。そこにラジオから聞こえてくる気怠げなオー・ソレ・ミオ、暗闇に白く揺れる花々、下からゆっくりと現れる男の顔とそのサングラスに映る光と影。そして、竹内は紗の影に彩られてゆっくりと歩く…。
 その描写の不可解な美しさは言葉にすることができない。数々の傑作を残した黒澤の作品群の中でも屈指の名シーンだろう。

 その竹内逮捕の場面が作劇上のクライマックスであるとするなら、視覚構成上のクライマックスはラストシーンだ。この映画はここまで様々な光の反射を描き、それが視覚上の特徴となっていた。運転手が進一の名を叫びながら開けたドアに映る横浜の夜景、鏡越しに見つめ合う竹内と密売人、戸倉たちが乗る車に揺らめく様々なネオンサイン、竹内のサングラスが映す夜の海。そしてラストシーンでは面会室で対峙する権藤と竹内を仕切るガラスにそれぞれの像が映り込む。

 二人は相反する性質を持つ者として描かれてきた。しかしその特殊性においては非常によく似た存在でもある。貧しい出自、群を抜く個性と才能、巨額の金銭の遣り取りをしながら金銭に対する執着の無さ。二人にとってそれは共に手段に過ぎなかった…。
 それぞれの姿に相手の像が重なり、彼らはまるで自分自身と対面しているかのように語る。二人は互いにとっての歪んだ自画像であり、一つの人格の光と影のようでもある。その表現が人格の不可解な同一性、悪の普遍性を浮かび上がらせる。終局に至って映像と内容がそれぞれにクライマックスを迎えて呼応し合い、そこで描出された暗く重い情念だけを残して映画はそのまま終わってしまう。その陰鬱な重さも含め極めて多彩で濃密な魅力を持った映画だ。

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