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『バレット・バレエ』特異な青春映画

監督:塚本晋也 出演:真野きりな・中村達也 2000年

バレット・バレエ 銃に執着するゴウダ
 編集によって物語と映像と音を融合させた強靭な表現、それが喚起する名指すことのできない情念。塚本晋也の魅力はここでも健在だ。
 拳銃自殺した恋人、銃を求めて彷徨う夜の街、銃を売ってくれるらしいヤクザ、手製の拳銃を作るために赴く町工場……全ての描写が主人公ゴウダの生々しい情念を乗せて拳銃に凝集していく。
 しかし、この映画はその情念を爆発させることがない。激しく拳銃を求めた情念はやがて変質し、死への憧憬に昇華されてしまう。

バレット・バレエ 死の一歩手前で踊るチサト

 ゴウダの拳銃への執着が死の希求であることが徐々に明らかになっていき、チサトもまた死を求めその瀬戸際に生きている。この映画はそれら死を志向する人の描写が非常に美しい。チサトは走る列車を背に立ち、拳銃を顔に押しつけ、剃刀を手首に当てる。そしてその自殺未遂の直前、コインを頬に乗せて無邪気に遊び、ベッドの上ではしゃぎ、歌を口ずさむ。それらの行為は死を前にして全く意味を持たず、瞬間の美しさに満ちている。真野きりなの冷たい顔、少年のような身体が無機質の生に似つかわしい。

バレット・バレエ ゴウダとチサトの彷徨 また、死に魅せられた二人の彷徨。拳銃を求めて夜の街を彷徨い歩いた時の情念は消え去り、そこにはもはや執着も激情もなく、目的そのものがない。その中で、ゴウダとチサトが駅の階段で途切れることなく流れていくサラリーマンの只中に立つショットは象徴的だ。二人だけが顔を見せ、群衆は皆、背中を向けて二人の前をただ通り過ぎていく。サラリーマンはゴウダの取引先の人々として、また群衆として、常に世界に蔓延していながら、ついに存在感を示すことなく、ここでも顔を見せない。没個性的で、死者のような人々だ。おそらく主人公二人の目に生はそのようなものとして映っているのだろう。この映画の中ではすべての生が死に等しい。いや、永遠を求めて死んだように生きる群衆の中で、ゴウダとチサト、そしてボクサーなど、刹那の生だけが美しく輝かしい。時代に取り残され薄汚れた昭和の風景、滴る水、中村達也の顔と佇まい…。

 死に向き合いながら今を生きるゴウダとチサト、今を捨て明日のために生きることで死んでいるようなサラリーマンたち。両者が対置され、その中間にどちらにも振り切れない不良少年が泣き叫んで立っている。それがこの映画の構図だ。
バレット・バレエ 無数のサラリーマンの中の二人 どこにも出口が無いようでいて、しかしラストシーンがそこからの脱出を示唆する。ゴウダとチサトが別々の方向に歩き出す。はじめは痛みをこらえてゆっくりと。やがて歩みを早め、ついには全力で走る。何が二人を走らせているのか、二人は何から解放されたのか? 意味は一切不明だが、あるいは不明だからこそか、その疾走は清々しい。例えその先にあるのが死であったとしても。

 塚本晋也らしい独創的な魅力の詰まった一作であり、意表をついた爽快な青春映画だ。

 ただ、前半、弾丸の製造から小さな部品の数々、その入手方法に至るまで、あれだけ拳銃に執着し続けた描写が、不可解な情念を溜め込んで内圧を高め、爆発を求めていたのに、後半、それが方向をずらされて不完全燃焼を起こしているようにも見える。その点だけはほんの少し残念なところだろうか。

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