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キネトスコープと現代の映画鑑賞



キネトスコープ

 キネトスコープは1891年にエジソンが発明した映画を上映・鑑賞するための装置。

 一人で立ったまま上から箱の中を覗き見る形態で、現在の映画に比較すると非常に個人的な鑑賞媒体だ。長時間の鑑賞には無理があるし、そもそも長時間映写できる仕組みでもない。何よりシネマトグラフが初期の観客に与えた現実と見紛うほどの衝撃がない。覗き窓から見る小さな映像は明らかに現実のスケール感を欠いていて、印象としても別の現実を目撃していると言うより、小さな写真が動いているといった程度だ。更に同じカットを何度も反復することで映画のマジックが失われていく。当時においては画期的だったろうが、映画が単なる一過性の物珍しさではなく、ポピュラーな娯楽や芸術として定着するにはスクリーンに映像を投影するシネマトグラフの登場が欠かせなかったろう。

 両者には鑑賞の質に決定的な違いがある。キネトスコープでの鑑賞は対象を客観的に観察するという性格が強く、一方のシネマトグラフ以降の映画は見ることと体験することの中間にあるような疑似体験を与えてくれる。両者の間の何処かに「不気味の谷」のような一線があるのだろう。何がそれをもたらしているのかは分からないが、スクリーンに投影された映像は「写真が動いている」という見世物的な要素を消し去り、より現実に近い迫真性を獲得している。暗闇の中で他者とともに見るという状況も、作品世界への没入や感動の共有という点で人間の心理に大きな影響を与えているのだろう。

 しかし、家庭用テレビの普及以来、ビデオ、DVDと映画鑑賞は徐々に個人的な形態が増え、現在ではPCやスマートフォンの小さな画面で映画を見ることも多くなっている。そこにあるのは疑似体験であるより、単なる視聴に近いだろう。我々現代人は実はキネトスコープに近い環境に慣れているのだ。映画をより簡単に見られるようになった一方で、鑑賞の質は低下している。それに伴って我々の鑑賞能力も衰えているに違いない。こうなると当然、映画作品はスクリーンも暗闇も他者もないまま、単なる視聴対象として評価されることが多くなっていく。表現上必要な時間であってもそれが退屈であるという理由で忌避されたり、描写の魅力が見逃され、物語の魅力だけが称揚されるといった傾向も出てくるだろう。小さな画面に育てられ感性を鈍磨させた観客が、その低い鑑賞眼で益々映画作品の質を劣化させていくのだ。

 我々自身の感性のために、また優れた鑑賞環境や映画作品の品質のために、できるだけ映画は映画館で見よう。社会にもっと気軽に映画を見に行くような雰囲気が醸成され、それが習慣になってしまえばいいのだが。ところで、映画館も料金をもう少し柔軟に設定できないものだろうか?

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