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『トーキング・ヘッド』映画のパロディ

監督 押井 守 1992年

 押井守はタルコフスキーが好きだそうだが、実際に彼の撮る映画は、深刻で濃密なタルコフスキーより、どちらかと言うと軽薄で気まぐれな鈴木清順に似ている。好きな映画と作る映画が乖離しているのが面白い。
 この映画もリアリティ皆無の不条理劇で、常識的な感性を持った観客にはそっぽを向かれてしまいそうな作風だ。

『トーキング・ヘッド』脈絡なく描かれる歌唱場面
  唐突な歌唱場面。後ろには何故か『月世界旅行』の月
 アニメ映画の納期1ヶ月前に監督が失踪し、急遽、”渡りの裏演出家” なる代理監督が雇われるというデタラメなストーリー、虚構であることを誇示する演技・演出で作られたリアリティの欠片もない描写。それらが映画が始まると同時に観客に真正面から突きつけられる。もうこの時点で、あからさまな駄作臭を感じ取った観客が見るのを止めてしまっても何ら不思議ではない。

 感情移入した登場人物と喜怒哀楽をともにし、作品内の現実を束の間生きる…それが娯楽映画の楽しみ方というものだ。しかし、この映画にそれを求めても何も得ることはできない。実在感皆無の作品世界と登場人物が映画への没入を拒み続けるし、リアリティを求める観客に脚本家が腹のソーセージを掲げてリアリティを図解して見せてくれても、それでリアリティが生まれる訳でもないのだから。
 この映画の魅力は別のところにある。

『トーキング・ヘッド』腹から腸を取り出す脚本家
 腸はあからさまにソーセージで、描写は虚構であることを誇示する
 手品を楽しむのが通常の娯楽映画の面白さだとしたら、この映画の面白さは手品の種明かしのようなものだ。映画そのものを主観的に楽しむのではなく、一歩引いて、映画や映画の楽しさがどのように出来ているかを楽しむ映画なのだ。「あはれ」より「をかし」の面白さと言えるだろうか。

 実際これは軽く楽しいコメディ映画でもあって、コメディとは元来、客観的なものではないか。その意味では──少しやり過ぎてはいるが──至極まともな映画なのだ。おかしな50年代風ファッションのアニメーターがフロントガラスにへばりつく交通事故、責任感の強さだけでゾンビになって蘇ってしまう制作担当、彼が主演するコーヒーのCMなど、声を上げて笑える場面が続出する。

『トーキング・ヘッド』腐海に飲まれた作画監督の部屋
  腐海に飲まれたオレンジ色の作監の部屋と青白いお客さん
 虚構感いっぱいの描写も、いかにも映画的な嘘に満ちていて面白い。何もない所に設置された扉、壁に掛けられた『月世界旅行』の月と手書き動画の『ラ・シオタ駅への列車の到着』。アニメ制作はなぜか病院のアナウンスが聞こえる映画館内で行われ、車は止まったまま夜の街を疾走し、ゾンビや小人が実在する世界…。

 現実にはあり得ない荒唐無稽な出来事を現実として描き、そこに扉があるという設定が部屋を作り出し、演技と音響効果だけで車が走っていることを表す。
 これら、映画表現を誇張して様々に体現して見せてくれるのが、この映画の最大の魅力だろう。この映画の場合、リアリティがないからこそ映画の作り出すリアリティの正体をうまく表現していて、そこにリアリティがある、という非常にややこしい、そして独創的な面白さを持っている。他には、表現力豊かな照明も魅力的だ。この映画の中ではほとんど唯一、正攻法的な映画の魅力と言えるだろう。

 表現形式としての映画に興味のある観客、一歩引いて映画の虚構性と滑稽さを笑える観客には、とてもおもしろい映画だ。常識的な面白さを求める場合はやめておいた方がいいが、「ハリウッド映画の約束事と予定調和にも飽きてきたかな」という人にはピッタリかもしれない?

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