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『天使のたまご』全ての要素が表現を模索している

監督 押井守 1985年

天使のたまご この映画に一般的な意味で言う娯楽性は皆無だ。そして答のない映画でもある。問のように見える要素に満ちてはいるが答はない。この映画の表現が求めているのは意味作用であり、確定した意味ではない。それが成功しているかどうかは観客次第かもしれないが、一般的な娯楽映画にない面白さを備えた映画であるのは間違いない。

 ほとんどすべてのカットが物語の説明に堕すことなく何らかの表現を模索している。その在り方は明解さにははっきりと背を向けていて、美しいイメージの数々が微かな物語性によって辛うじて繋ぎ留められていると言った方が適切かもしれない。娯楽作品に数シーン紛れ込んでいればその価値はもっと強調されただろう。もったいないぐらいだ。
 制作途中のシミュレーションのように見える世界。そこに生じた木に卵胎生しているような巨大な鳥。水面に揺れる奇怪な影、化石の回廊、壁面を泳ぐ魚、長い1カットで燻り続ける炎など魅力的なイメージに溢れている。そしてそれら一つ一つが何かを暗示し意味を伝えたがっているように見える。

 音楽はこの幻想的な世界に相応しく不気味で美しい。
 背景画も単なる舞台の提供に終わらず、それ自体の存在を主張している。
天使のたまご なかでも手描き動画の緻密さはまさに職人芸だ。あの少女の髪の毛をどうやって動かしているのか。また、水の表現一つとってみても独自の表現、独自の美しさがある。人物の影のつけ方なども独特で、作り手はおそらく類型的な表現を一旦捨てて現実の観察からやり直し、一からこの表現を作り上げていったのだろう。しかし簡単に類型的表現と言ってもアニメの場合、それはこれまでの職業的経験の蓄積からくる財産でもあるはずで、そこから離れて新たな表現を作るのは大変な作業だったろう。もちろん重要なのはそれがきちんとこの素晴らしい成果に結びついているということだ。

 全編ほとんど台詞がないため、観客の関心は映像に向けられ、僅かな言葉は意味が強調される。そうかと思うと少年が一旦話し始めれば今度は滔々と聖書を諳んじる。ここでは語りそれ自体が魅力だ。それは映像同様何らかの情報を伝達するためというよりは観客が味わうための美しい意匠と言った方が相応しい。
 
 物語性の希薄さは意図したことだろうが、物語に作品中の様々なイメージとの意味的な連関はそれほどなく、その点ではあまり魅力的とは言えないかもしれない。この映画ではイメージはもっぱら世界観に結びついている。
天使のたまご 白髪の少年少女、廃墟のような街、ノアの放った鳥が帰ってこなかった世界、獣たちが石になる程の長い時間、それらが生み出す世界観がこの映画の主役だ。観客は映画を見終わると、箱舟が忘れさられた人々を乗せて今も漂っている姿を想像するだろう。

 少年と少女が出会い、世界の内実が暗示され、たまごの破壊とともに一つの世界が終わっていくというストーリーの大枠は明快だ。難解さで観客を迷わせるようなことはない。観客は安心してその映像と音響の世界を楽しめるだろう。数々の独創的なイメージと隠喩的な表現は魅力に溢れていて、常に観客のインスピレーションを触発しようとしている。そこから何を感じ、何を考えるかは観客に任されている。

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