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『影武者』 (1) 黒澤明後期の特異な傑作

監督 黒澤明 1980年

『影武者』 ファーストシーン 3人のうち信玄にのみ影がある 非常に独創的で特殊な映画だ。なかなか語る言葉も見つからない。
 そのせいか公開時から今に至るまでずっと賛否両論が続いているようだ。その意味では評価の決定している『生きる』や『七人の侍』などより現代においてはもっとも活きのいい黒澤映画と言えなくもない。

 この映画の変わっている点はいくつもあるが、まずその描写が特異だ。
 一見アクションが見どころの時代劇のような外見だが実際は全く逆で、アクションや戦闘シーンなど重要な場面を悉く隠蔽しようとする。合戦ではカメラが後方の陣に留まり最前線を見せない、戦いの最中にカメラは戦いを見守る人々のリアクションのみを映し出す、といった具合だ。
 ストーリー上重要なはずの主人公の動機を描く場面では、そのもっとも重要な瞬間に主人公はカメラに背を向けるという徹底ぶりで、モノクロ時代の黒澤なら『生きる』の誕生会の場面のようにこれならどんなに読解力のない観客にも理解できるだろうというほど明確に主人公の動機を形成しただろうが、ここでは人間の心理そのものに価値を認めない。
 観客が見たいと思うであろう場面を隠し、感情移入を拒む。かつての黒澤の映画からは考えられないような方法論だ。もちろん一般的な娯楽映画からも程遠い。
 その他にも特殊な描写は数多い。

『影武者』 盗人が影武者になり不定形な影を獲得する場面 こういった観客の快感原則に反するような性質のせいか、悪夢を見ているような茫洋とした印象を与える映画で、全てのことは明白に見せられているのに、何か漠然としていて捉えどころがない。しかし、その分らなさや言葉に変換できないところにこの映画の面白さがある。
 あらゆる要素が真と偽、実在と影、アイデンティティの確立とその否定などを示唆しつつ、それらが容易に一定の意味に結びつかない。
 最初盗人に影がなく、彼が影武者として紹介されると陣幕にその影が揺らめき始め、最終的には屋形の天井に大きく黒い影を落とす。また狙撃シーンそのものを見せず、その入念な検証シーンを見せる。盗人から影武者、信玄、やがてその剥奪と推移するアイデンティティの行方等々。観客の意識には上らないかもしれないが、これら特定の解釈に結びつく寸前にある意味作用の効果が絶大なのだろう、
 そしてあるはずの意味にたどり着けないこの構造それ自体が更に映画の描こうとする虚構、影、自我の不確かさなどの体現ともなっている。

 重要な出来事の隠蔽、感情移入の否定、他にも例えば武田側と織田・徳川側の主客転倒した描写、意味を伝えようとするシナリオとなぜかそれを無効にするような撮り方をするカメラワーク、ストーリーと異なる編集のリズム等々、どこに着目しても面白さを引き出すことができる。
 また、観客が感情移入できないようにしたり、重要な出来事を観客に見せない工夫などの特殊な描写をそのものとして楽しむこともできるし、モノクロ時代の黒澤作品に親しんでいれば同時代に曖昧に黒澤ヒューマニズムと呼ばれたような性質──人間の意志の力の肯定、善・悪や強者・弱者の対立と葛藤、感情の高揚など──に対する明白な拒絶としても興味深く見ることができるだろう。
『影武者』 大きく濃い影を天井に映し信玄として存在し始める影武者 そして見方によっては、最後に隠蔽の破綻、影武者のアイデンティティを形成した武田家自体の崩壊、真実を求める側である信長の完全な勝利などによって全ての矛盾した要素が一挙に、そして奇妙に統一された地平に到達する。

 色々と変わった特徴を持った映画だが、それら特殊な描写は映画の内容そのものに要請されたものであって、作り手がそのたった一つの正解を見事に捉えた結果だろう。そのくらい他の方法などまったく考えられないほど適切に見える。この映画では描写がすなわち内容だ。
 また、映画が重要な出来事から人間を疎外し感情移入を許さないからこそ観客は特定の人物ではなく描き出される世界の全体を、またはその細部を眺めることになり、最後にはそうでなければ得られないような冷たい感動を得ることになる。
 これほど作品を構成する様々な要素が意味作用を喚起する映画はめったにないだろう。そしてその多様な要素が特定の意味に帰着することなく、しかし拡散することもなく全体として統一されている。傑作であり、万一楽しめなかったとしても見る価値はある映画だ。

 ・『影武者』 (2) 詳細解説と分析


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