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『人情紙風船』 高い完成度の裏側にある山中の未完成さ

監督 山中貞雄 1937年

人情紙風船 江戸時代、江戸の町を舞台に当時の社会や経済などの制約下に人間が描かれる。その世界観は基本的に『丹下左膳余話 百万両の壺』と同じだ。違うのは『人情紙風船』が悲劇を志向している…というよりは意図的な喜劇を目指していないことだ。
 『百万両の壺』では逆説的なカット繋ぎやあからさまな偶然によって妻が源三郎を見つけたりと喜劇的な部分の多くが作為的だった。妻を幸せな気持ちにさせる源三郎と左膳の小芝居は明示的に彼らの作為によって作られ、作品の構造を観客に図解して見せていた。『人情紙風船』にはそれがない。価値観を転倒する仕掛けを排除し、構成を少し変えるだけで同じ世界が悲劇に変容している。
 世界は人が能動的にそれを作り出さない限り悲劇的な在り方をしているらしい。少なくとも山中の描く世界はそのように在る。その達観した世界観は非常に完成度が高く、個々の作品の特徴というより山中自身のスタイルなのだろう。

 主要登場人物である髪結いの新三や海野などが作品世界の構築後に描写されていくのも変わらぬスタイルだ。その構成によって、状況に制約されて生きる平凡な人々の群像劇を作っていく。我々観客と同じ条件下に生きるリアルで魅力的な人々だ。
 海野は落ちぶれた武士で毛利の口添えで仕官することだけが、貧乏長屋を抜け出す唯一の希望と考えているらしい。実際その通りなのかもしれない。毛利に何度も体よく断られているのに最後にはっきりと口にされるまでそれに気づかない。彼は自分では何もできない人物で、毛利が長屋の大家に頭を下げたと聞くと愉快でならない。善良だが愚鈍な役立たずであり、武士の矜持を保とうとしているのが哀れだ。
 一方で新三は現実的な制約の中で自分を貫こうとする愉快な人物だ。生きて我々の前に姿を見せている限り、痛快なキャラクターであり続ける。地元のヤクザに逆らって勝手に賭場を出したり、ヤクザにぎゃふんと言わせたいというだけで誘拐事件を起こしてしまったりと、とんでもない男だが、彼は最後まで矜持を保つ。かどわかしは金のためではなかったのに大家がせしめた身代金は結局受け取って長屋仲間で宴会をする。物事に執着がなく、いつの時代の観客にとっても魅力ある人物だろう。

 そして自分の才覚では状況をほんの少しも変えられない海野が象徴的だが、自由奔放に見える新三も環境や状況の限界を越えることは決してないことが最後に示される。彼らは映画の登場人物と言うより現実に制約されて生きる我々観客に近い存在だ。状況に翻弄されるままの弱者と状況に抗う強者……。我々人間は皆、その2つの極の間の何処かに位置づけられるだろう。強固に完成された世界観によって現実を描き、その中で生きるほかない人間の悲しみを描いた映画だ。

人情紙風船 ただ、『人情紙風船』は単に物語に沿って悲劇という範疇で捉えてしまうよりはもう少し豊かな世界を感じさせる。『丹下左膳余話 百万両の壺』のように作為を導入すれば、新三がヤクザをやり込めた後、海野たちとの愉快な宴会、忠七・お駒の駆け落ちで終わる構成に変えるだけで喜劇にもなり得ただろう。実際、市がキセルを取り戻す流れやケチなのにいつも酒を奢っている憎めない大家など楽しい要素も多い。作品を成立させている世界観が大きく緻密で、その中に悲劇も喜劇も、そしてそれ以外の要素もすでに含まれているのだ。そして、まだ表現されることを待っている要素が多分にあるように見える。この監督に次回作がないのは非常に残念だ。

 『人間山中貞雄』 伊丹万作
「思うに山中の本当の仕事はことごとく将来に残されていたといつても過言ではなかろう。自分の知る範囲においてその人がらや性質から彼の仕事の本質を推定するとき、過去における彼の仕事のごときは決して彼の本領だとは思われない。もしもいささかでも作品に人間が現われるものならば、彼の作品はもう少し重厚でなければならない。稚拙でなければならない。素朴でなければならない。もう少し肉太でなければならない。もう少し大味でなければならない」




 ワンカット、違和感から印象に残る描写がある。観客の多くが感じたはずだが、お駒と忠七の対話中、カメラがその部屋の人形を映し続ける部分だ。これは制作上の事情があったのか、それとも作り手に何らかの意図があったのか、もう今となっては分からない。
 黒澤明が『どん底』を作るときルノワールの作品を意識したことは明確でも、『人情紙風船』についてはどうだろう? 貧乏長屋の奥が崖のように行き止まりになっていたり、本編中は音楽を排しつつ劇中の馬鹿囃子を丁寧に描いているあたり、共通点があるように見えるが。黒澤の存命中のインタビューにこれを聞いたものはないようだ。これももう分からない。
 映画のジャーナリズムの発展を願いたい。

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