FC2ブログ

記事一覧

HOME

『非常線の女』 仮構世界の魅力と軽薄さ

監督 小津 安二郎 1933年

 アメリカのギャング映画のパロディのような作品。1933年当時の日本にアメリカ映画の風景、文化、キャラクターを移植している。人物表現は薄っぺらく、作品世界はでたらめに設定され、ストーリーも荒唐無稽にできている。その一方で、描写の素晴らしさだけは最後まで一貫していて、その中には後年の小津作品には見られないカメラと被写体の動きの面白さもある。一級品の顔を持ったB級映画といったところだろうか。

非常線の女 アメリカ映画のような一場面 作品世界は作られた部分と1933年の日本が混在していて面白い仮構世界を形成している。壁のポスターや店名の表記は悉く英語だが、店の看板には「クラブ歯磨」と日本語のものもある。伝統的な日本家屋は登場せず、ダンスホールやボクシングジム、ビリヤード場など、屋内も外観も舞台はすべて近代建築で構成されていて、この世界にはもしかしたら日本家屋が存在しないのかもしれない。出てくる人々も皆、見た目は日本人で日本語を話すのだが、そのメンタリティは日本人のものではない。どうも日本ではなさそうだ…かといって他のどことも言えないような場所…つまりここはB級映画の無国籍的世界なのだ。

 和子が勤めている所は何というのだろう? 蓄音機屋というのか、レコード店でいいのか、ビクターの犬のマークがそこら中にある。襄二はそこで音楽を聴いているのを揶揄されると「見なよ 犬だって聞いてるぢゃねえか」と言う。ビクターが当時アメリカを連想させる最先端だったのだろうか? こういった細部の意匠も楽しい。
 登場人物も皆デフォルメされていて、主人公の時子はタイピストで「ずべ公」、襄二は元ボクサーの「与太者」で、小さなギャング団のボスだ。──ギャングでいいだろう。どう見ても日本のヤクザではない。登場人物たちは現実なら吹き出してしまいそうな気取った──しかしアメリカのギャング映画の字幕にならピッタリな──台詞でやり取りする。
 岡譲二の襄二はそれなりにカッコよくて嵌っているが、田中絹代演じる時子の方はどうもよくない。常に洋装で本人としては颯爽としているつもりのようだが、子供が無理をしているようにしか見えない。笑ってしまいそうだ。
 善良な大和撫子である和子は美人の水久保澄子が演じていて、着物を着て畳の部屋にきちんと正座する。あからさま過ぎる対比かもしれないが、これも映画のスタイルには合っている。
 これらのリアリティが希薄で、しかし軽くて楽しい要素の集積で作品世界が形成されていく。

 その中でもっとも魅力的なのはダンスホールでの様式的な演技と目まぐるしいカット割りだ。襄二が別グループの与太者とやり合う間、観客は別のものを見せられる。時子たち6人ほどの人物がタイミングを合わせて一斉に振り向くとその都度、別の人々が驚き立ち上がる様子が短く二度挿入される。映画は突然タッチを変え、誇張された演技と瞬間的なショットの連続になるのだ。7秒程の間に5つのカットだ。その不自然で様式的な表現は他のどの場面にも増して虚構性を露わにして、映画的快感に溢れている。
非常線の女 様式的な演技と目まぐるしいカット割り
 

 物語は作り物の世界でありつつも前半はそれなりにシリアスに展開するのだが、後半になるとシナリオも怪しくなってくる。もしくは描かれる世界に相応しいものになってくる。
 和子に嫉妬した時子は、彼女を呼び出して拳銃を向ける。いきなりこの展開はまずいだろう。少なくとも見た目だけは1933年の日本そっくりな世界だ。嫉妬しているというだけで相手を殺そうとするのも感情の流れとして唐突だし、拳銃を警察や軍にも所属していない女性の所持品として存在させるにもそれなりの描写が必要というものだ。しかしそれらのことにまったく配慮はなされていない。あげく時子は和子を好きになったと言って撃つのをやめる。展開にも感情表現にもまったくリアリティがない。ここまで架空の世界をそれなりにリアルに見せようとしていたのに…。ここでこの映画ははっきりとこれがどういう種類の映画かを宣言している。

非常線の女 水久保澄子 時子は襄二にこんな生活はやめてまともになろうと言い出す。和子と会ったことでそんな気持ちになったらしい。結局襄二も説得されてしまう。ハードボイルドなのは見掛けだけで、彼らは実はとても感傷的な人々なのだ。安っぽいセンチメンタリズムは更にエスカレートして、窃盗犯の宏に同情した襄二は彼ら姉弟のために時子とともに時子の勤める会社に強盗に入る。キャラクターもストーリー展開もデタラメもいいところだが、白けたりしてはいけない。優れた撮影や編集などから前半は観客の方が少し誤解していたのだろう。ここまで見たのなら、この急激なB級映画への傾斜も笑って楽しもう。時子がいきなり襄二を撃ってしまう異常な展開、大怪我にならないよう正確に足の肉を削ぐ時子の射撃の腕前なども凄いが、まあ、そういうことはもうどうでもいいのかもしれない。時子は平凡な生活をするより3年後のベルリンオリンピックに射撃の選手として出場した方がよさそうだ。

 ラストで2人は警察に捕まってしまうが、それは主人公時子の選択であり襄二も受け入れているので心理的にはハッピーエンドに近い。内容の軽薄さもあって観客の鑑賞感は実はそれほど悪くないだろう。この単純な世界の住人なら宏は真面目になり、和子も幸せになっただろうと感じさせてくれる。重厚長大なタッチであったら醸し出せない、軽薄短小ならではの味わいだ。文句の一つも言いながら軽い気持ちで楽しむのがこの映画に相応しい鑑賞方法だろう。現代から遡って見る場合はなおさらだ。かの高名な小津安二郎先生の映画を見るぞなどと思って見てはいけない。

このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事
コメント

拍手とコメント、両方して下さる方はお手数ですが、コメントは下のコメント欄にご記入下さい。拍手ボタンを押した後に出てくる「拍手コメント」に書き込んでも通常ページには表示されない仕様になっているようです。                       ⋮

コメントの投稿
非公開コメント

年代別

ジャンル別

プロフィール

ぱこぺら

Author:ぱこぺら
批評なので基本的にネタバレです。できるだけ下記の方針で書きます

・作品外の周辺情報を考慮せず作品内の表現に基づいて評価する
・歴史的な読み、評価から離れて現在の視点から論じる

リンク

撮影監督の映画批評

無意識の感情移入など専門的な視点から語られる映画評。個性的。

 

映画中毒者の映画の歴史

創成期の映画史と当時の作品の解説。貴重な情報が多数。


このブログをリンクに追加する