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『祇園の姉妹』優れた着想・描写と相反する人物表現

監督 溝口 健二 1936年

 『祇園の姉妹』は成功への偏った信念を持った人物が、それに基づいて行動する様を描いた映画と言えるだろう。その行動が他人や社会にどう作用し、どのような反作用が返ってくるかという実験をしてみせているようで、観客も興味深く見ることができる。

『祇園の姉妹』山田五十鈴演じるオモチャ 映画は山田五十鈴演じる「おもちゃ」の個性的なキャラクターが物語を展開させていく。自らが事を起こし物語を作り出していく、まさに主人公らしい主人公だ。

 芸妓である彼女は男を敵であると言い、男を逆に利用して成り上がろうとする。実際に呉服屋の番頭に舌先三寸で姉の着物を作らせたり、その主人をたらし込んだりと行動力に溢れている。
 ただ、女学校を出ていても世間知らずな未熟さはどうしようもなかったようで、男や世間などを一方的に敵視する幼稚な世界観を持っていて、更にその敵を軽視しているのが致命的だ。男の味方をする女が敵対してくることや男の反撃の可能性なども、まったく考慮していない。
 おもちゃは野心的で行動力に溢れ、同時に未熟で愚かな、とても個性的な人物となっている。山田五十鈴のリアルな演技が魅力的だ。

 彼女に騙される側の男たちの間抜け具合も楽しい。古沢と酔っぱらった骨董屋の会話などまるで漫才だ。おもちゃを筆頭に人物設計とその描写がこの映画の一番の魅力だろう。

 カットの繋ぎが所々ぎこちないのは元々90分以上あったオリジナル版が69分に短縮されてしまっているせいだろうか。カメラは人物に合わせてスムーズに動き、構図は常に奥行きを作り出していて、特に屋内シーンでその空間がリアルに表現されている。役者の演技とその演出は、主要人物は勿論のこと画面の隅に映る人、通りがかりの人々にまで気が配られていて隙がない。それらによって高い水準で維持される作品世界のリアルリティそのものが映画の魅力になっている。

 ただ明らかに作品に不適切な場面がある。ラストシーンだ。
 元呉服屋の番頭に走行中の車から突き落とされるという手ひどい報復を受け、入院しているおもちゃが泣きながら世間に毒づき、なぜ芸妓というものがあるのかと訴える。このシーンのおもちゃはこれまでの彼女のキャラクターとは異質だ。
『祇園の姉妹』神社に詣るオモチャと姉 シナリオの都合でその人物が言うはずのないことを言わされているのを見るのは、あまり気持のいいものではない。第一映画を台無しにしてしまう。
 更に悪いことに発言の間、カメラが彼女をアップで捉えようとどんどん近づいていくではないか。これでは映画そのものが、抑圧された女性の権利を社会に対して訴えているようにしか見えず、内容より作り手の作為が見えてしまう。実際この場面はラストに置かれ、カメラは彼女を強調し、おもちゃは別人になったかのように自らの境遇を訴えかけるのだ。最後の最後で映画を台無しにしてしまうのは非常に残念だ。

 しかし、山田の演技をはじめ美点はいくつもあり、ラストは見かけ上の悲劇を選んでしまったようだが、ラスト以外はとても面白い。作品自体は悲劇を志向しているが、どちらかというと喜劇的な側面の方がより魅力のある映画だ。おもちゃもそのキャラクターから言って、次はもっとうまくやってやろうと思っていることだろう。

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