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『2001年宇宙の旅』 知性と飛躍の映画

監督 スタンリー・キューブリック 1968年 イギリス・アメリカ映画

2001年宇宙の旅 感情移入できないと辛いという人には悪夢のような映画だ。冒頭から20分間、猿しか出てこない。1匹偉大な個体がいるのでそれに感情移入するのがいいかもしれない。ただ見分けるのがちょっと難しい。
 この映画、特にこのシークエンスは登場人物らしい登場人物が存在しないことで、描写のリアリティが映画の最も重要な基礎を成しているということを改めて教えてくれる。描かれる内容に興味が持てないということはあり得るだろうが、観客を白けさせるということだけは決してない。描写そのものの魅力もその基礎があってこそだ。

 リアルな描写の魅力は映画を見れば一目瞭然で、それを改めて言葉に変換する必要はないだろう。その描写の効果は物語の面白さにも寄与している。ボーマンとHAL9000との戦い、作業用ポッドから宇宙船に戻る描写などは、娯楽作品として作られたどんなSF映画よりも面白い。そのリアリティは、都合のいい嘘でボーマンが助かることなどあり得ないことを雄弁に語っており、本物の危機感を喚起する。実際、ディスカバリー号のエピソードは一級の娯楽作品ともなっていて、感情移入ができないことで退屈してしまうという人もここまで我慢すれば、映画はボーマンを主人公とした緊張感溢れるサスペンスとなっていて楽しめるはずだ。多くの娯楽SF映画が宇宙という目新しい環境の魅力を無視し、非現実的で派手な演出で凡作に成り下がっていくのはなぜだろう? こんなに見事な手本があるのに。
2001年宇宙の旅 また、木星の彼方にある部屋の描写はあくまでリアルでありつつ微妙な違和感があるのがいい。何の変哲もない部屋のようだが、照明だけがなぜか天井でなく床にあるのだ。神のような宇宙人のちょっとしたミスだろうか?

 最初のエピソードで1匹の猿人が道具の概念に達するという種としての偉大な飛躍が描かれ、彼の投じた骨が2001年の人工衛星のカットに繋がる。
 主人公は存在せず、それぞれのシークエンスが1匹の猿人、フロイド博士、ボーマン船長を中心に描かれていく。一般的な映画と違って人物の心理を描くというより、種としての飛躍の瞬間を捉えて繋げていき何百万年単位でホモ・サピエンスの物語を描いていく。いや、実は種、人類、ホモ・サピエンスという言い方は少し不正確だ。作中かなりの時間を割いて描かれるHAL9000は人ではないし、生物でもない。この映画が焦点を当てているのはより正確には個々の人物でも種としての人類でもなく知性だ。
 そして ”飛躍” が、知の飛躍としての道具という概念の獲得、宇宙への進出、ホモサピエンスから不可解な赤ん坊への変態という内容に表れ、描写の面でも宙に浮かんだ骨から人工衛星へ、フロイド博士のエピソードが物語を形成する暇もなく唐突に18か月後のディスカバリー号へとカットの繋ぎが飛躍していく。ボーマンは木星から西欧風の部屋に過程をとばしていきなり辿り着き、その部屋ではカットが変わる度に主観と客観の間を飛び越え、年単位の時間を跳躍していく。
 『2001年宇宙の旅』は知と飛躍の映画だ。

2001年宇宙の旅 人類に何らかの啓示を与えているらしい石板、ボーマンの死と再生など宗教的にも見える要素を含みつつ、あくまで即物的、無神論的に知性と飛躍の物語を描いて映画は終わる。語るべきことを語り切る明快さ、放置された不要な要素が与える作品世界の奥行、考える余地を残してくれているのも楽しい。SF映画のほとんどが実際はSF的な世界を舞台にしたアクション映画やサスペンス映画だったりする中で『2001年宇宙の旅』は映画としては勿論、SFとしての魅力にも溢れている。2001年を遠く越えて尚、些かもその魅力は減じていない。

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