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『コッポラの胡蝶の夢』 構成要素全ての混沌が魅力

監督 フランシス・フォード・コッポラ 2007年 アメリカ・ドイツ・イタリア・フランス・ルーマニア映画

 日本語タイトルのセンスが悪いのは残念だが、内容は実に個性的で面白い。この映画の魅力は「格調高い」「深遠な」「重厚な」などといった種類のものではない。節操がない程の多様さと非現実のリアリティとでもいったものだ。様々な異なる顔を持った映画で、見る人によってその印象はまるで違ってくる。SF以前の幻想文学的な作品で、オカルト的、ホラー映画的な面がありつつ、アクションやサスペンスのような側面もあり、SF的でもあって、純愛映画のようでさえある。作品の品質においてもB級映画のような部分もあれば、芸術映画のように見える部分も、ありきたりなプログラムピクチャーのような部分もある。それら様々な要素が排斥し合わず混沌としたまま一つの映画として成立しているのは奇跡的だ。映画についての映画と言ってもいいかもしれない。その多様さと曖昧さを味わえるなら映画的な魅力に満ちた傑作だ。

コッポラの胡蝶の夢 同時に同じ理由で評価されづらく、理解されづらい損な映画でもあるだろう。人によってはカテゴライズから逃れる座り心地の悪さと雑然とした印象だけが残るかもしれない。コッポラの最高傑作に挙げる人がいてもおかしくないし、「コッポラの才能は枯れ果てた」と言う人もいるかもしれない。しかしこの独特の魅力を味わえる人がいる限り、それがこの映画の価値を決めていくだろう。
 コッポラの作品としても70年代の名作群や『ワン・フロム・ザ・ハート』以降90年代までの作品ともかなり趣が異なる。映像は美しいが、『ゴッドファーザー』ほどの重厚な陰影はなく、『ドラキュラ』ほど趣向を凝らしたビジュアルもない。その代わりに肩の力が抜けた特徴的ではない美しさがある。

 始まりは平凡でありきたりだ。時計の針が巻き戻る『タイムマシン』のような類型的な描写があり、主人公の老人が目覚め、彼のモノローグが状況を説明してくれる。陳腐な手法だ。彼は一生をかけた仕事が未完に終わり恋人も失って失意のどん底にあるらしい。
 洒落たオープニング・クレジットの後、ブカレスト北駅と新聞の紙面がここが1938年のルーマニアであることを教えてくれる。冒頭とは異なり映像で端的に示す手慣れた職人芸だ。蝋燭を立てる老婦人のカットは美しいが、雨雲と雷は安っぽいSF映画のようだ。作品の品質と性質に表れる数々の落差に観客はどのような態度でこの映画に接するか決めかねるだろう。『コッポラの胡蝶の夢』はこういう映画だ。この宙吊り状態がずっと続く。
 ティム・ロスの素晴らしい演技もあり、ブカレスト北駅の人々のように少しわざとらしい演技もある。全般的な描写も同様だ。ヴェロニカがドミニクのドッペルゲンガーを見る場面や自殺しようとする場面の演出は淡白だが、回想シーンの衣装や美術などは入念で美しい。

 リアリティの水準も揺れ動き、この映画はあらゆる面で観客が定点観測することを許さない。これが実にスリリングで独特な魅力を作っている。
 雷に打たれた老人が若返り、特殊な能力を身に着けるB級映画的な展開。教授に論文の内容を聞かれ、「言語の起源、人間の意識、時間の概念」と答える。彼は誇大妄想に取り憑かれた狂人なのか? しかし教授が「優秀な男だ」と評す。この荒唐無稽な対話が、さも当然のようにさりげなく、B級映画とは程遠いリアルさでなされる。その眩暈がしそうな非現実感。6号室の女のストッキングにある鍵十字はB級映画のわざとらしい明解さなのか、それともそのあり得ない隠喩はこの作品世界の現実性の揺らぎを表現しているのか? 観客には判別のしようがない。
 深夜の街角で自分の正体を知る男とドミニクが対峙するサスペンスフルな場面から、ナチスの女スパイが寝返る唐突なメロドラマへの傾斜、さらに突如としてルードルフ博士が自分の頭を撃ちぬくSF映画的描写への転換。一つのシーン内で目まぐるしくいくつものジャンルを横断していく。カテゴライズをつき抜けていく意表を突く斬新さ、それが与える意味の遊動、映画の自己言及性への思考の喚起など、混沌とした効果のすべてが魅力的だ。そして作品内におけるその表現が示しているのは夢ならでは非現実性なのか? しかしそれにしてはその描写は物語の展開に必要不可欠な現実として作品内に組み込まれている。なのにその後そんな事実はなかったかのように作品からもドミニク自身からも完全に忘れ去られる超能力……。その不可解さの魅力はデタラメなB級映画と紙一重だ。
 主観的な存在のように演出されてリアリティを獲得していたドッペルゲンガーをヴェロニカが目撃するのは? さらに観客以外誰も見ていないのにそれでも存在をやめず、実在してしまうドッペルゲンガーを観客はどう捉え直すべきなのか?
 作品世界のリアリティの水準が明示されないスリルとその都度再編され揺れ動き続ける意味作用が実に魅力的だ。

コッポラの胡蝶の夢 輪廻転生、古代の言語を遡行するヴェロニカ、唐突な老いなど神秘主義的な要素の数々。現実と幻影の区別は全くなされず、サイエンス・フィクションのような理屈付けもない。それでいて登場人物たちの感情は本物で、ヒンドゥー教的解釈と相容れないキリスト教文化圏の人物としての反応、観客にその真偽は判断できないがヴェロニカの老いが自分のせいだというドミニクの彼女に対する愛情などがあくまで現実的に描かれる。知識人が「胡蝶の夢」に説明を必要とするのもいかにも西洋人的なリアリティだ。
 そして最後のカフェ・セレクトでの現実的で夢のような場面は郷愁に満ちていて、映画そのものを象徴する曖昧さと幻想性を湛えている。

 この映画の独特の魅力は見紛いようもないが、それは作品内の個々の要素に仕掛けられたものではない。スタイル、物語、描写などにおける多様さが統合された映画そのものが全体としてジャンル横断やリアリティの水準の曖昧さなどを醸成するところにある。到底その効果を計算し尽くせるものではないように見える。おそらくコッポラ自身、こんなことは2度とできないのではないか?

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