FC2ブログ

記事一覧

HOME

『姿三四郎』黒澤明のデビュー作・動きと悪を描く作家の登場

監督 黒澤明 1943年

 この映画は何よりもまず動きがいい。また、全編表現への意欲に満ちている。現実の物理法則をはみ出してしまうのは流石にやり過ぎに見えるが、実に元気のいい新人監督だ。観念的な内容もその単純さも、若さと健全さを感じさせる。悪を描こうとしているのも特徴的だ。表現の面での動き、内容面での悪はそれまでの日本映画の流れからは出て来ない突然変異的な登場だ。

姿三四郎 まず、動きという極めて映画的な魅力を日本映画に持ち込んだのが画期的だ。それまでも溝口、小津、成瀬をはじめとした名監督たちの素晴らしい映画はあったが、彼らは動きの魅力を追及することがほとんどなく、僅かに山中の一部の作品に見られた程度だったが、『姿三四郎』は動きに満ちている。
 冒頭ではカメラが動く。明治15年の空。そのままカメラを下に振り大通りが見えてくる。実に賑やかだ。沢山の人が歩いている。和服の人、洋装の人、人力車に馬車、掃除をしている人や走っていく子供たち。ちょっとやり過ぎな程で、その過剰さがいかにも黒澤らしいし、表現への意欲に溢れている。カメラがそのまま道を進んでいき、小路に曲がったところでそれが三四郎の主観カットだったことが分かる。
 柔術家の部屋では1人が盃を三四郎に投げ、1人が徳利を投げて転がす。そこから矢野正五郎夜襲の静寂に満ちたアクションシーンになだれ込む。
 有名な下駄で時間経過と三四郎の成長を描く場面は新人監督とは思えない素晴らしい技巧だが、そこでも下駄の傍を歩く人の足とその多さ。下駄に降りかかる土砂降りの雨。子犬がじゃれつき、吹雪が降り、桜の花びらが流れていく。時間表現の見事さとともにそれぞれのカットに必ず動きがあり、過剰さが隠れている。
姿三四郎 三四郎の試合のシーンは表現への意欲が昂りすぎたのか現実を越えてしまっているように見える部分もあるが、大胆なデフォルメがなされていて実に個性的だ。ほぼ全ての観衆を左から順に捉えていき、倒れた相手に至る長大なパン、落ちる障子のスローモーションなど。後者は世界中でコピーされる描写の初出だ。
 三四郎と桧垣の決闘では人、雲、影、すすきの草原、被写体の全てが動いていて圧巻だ。物語と描写のクライマックスも見事に一致している。
 明治時代のおもちゃのような汽車が煙を吐いて走り去っていくラストはいかにも活動写真的な動きが楽しい。
 『姿三四郎』はまさに動きの映画であり、映画は動きで満たされているべきだと主張しているかのようだ。

 この映画の観念的な内容と善悪の扱いは興味深い。
 三四郎は冒頭、門馬三郎に入門し盃を交わしているのに、門馬が矢野小五郎に負けるとあっさり彼を捨てて矢野に入門し直す。その要領のよさには笑ってしまうが、彼は全く他意がなく悪びれてもいない。わざわざこういう展開を入れる脚本は当然この一風変わった倫理観の表現のためだろう。
 矢野の説く道徳は抽象的過ぎてよく分からないし、いかにも青臭く、黒澤の若さが出ているようでもあるが、善は矢野小五郎が言う通り「天然自然の道」として描かれているようだ。蓮の花の美しさを見て意地を張るのをやめる三四郎。あっさりと門馬から矢野に乗り換えるのもそうだが、本質とは異なる事柄に執着することが愚かさとして描かれている。桧垣の小夜への執着もその一例だろう。三四郎は素朴で不器用な青年であり、まさに天然自然といったところだが、敵対する桧垣は一点の隙もない洋装で、立ち居振る舞いも器用だ。彼が他人に与える印象は彼自身の作為によって演出されていて対照的だ。
 しかしその観念性が行き過ぎているように見える部分もある。物理的な次元で行われているはずの格闘技の勝負を精神性が決するように描かれる。三四郎が小夜の父に勝つためには小夜の無私の祈りに対し、蓮池での無私の境地を思い出す必要があり、桧垣に対しても蓮の花を思い出すことによって勝利する。それぞれ劇的であり、非現実的でもある。黒澤の考え方がよく出ている。

姿三四郎 桧垣は一見ありきたりな悪漢のようにも見えて、娯楽を意図したアクション映画ではそれも相応しいだろうが、どうもそれ以上に悪そのものを描こうとしているようでもある。桧垣が特に理由もなく演出だけで悪として描かれているのが特異だ。彼のもったいぶった態度、花に煙草の灰を捨てる行為などは確かに観客にも嫌悪感を覚えさせる。しかし、それだけで彼を全ての人に忌み嫌われる天性の悪のように扱うのもすごい。彼の言動は柔術側からすればもっともなことであって、何ら悪くない。しかもこの映画は三四郎が一時柔術側に身を置くところもわざわざ描いている。悪の根拠のなさが独特で、逆に普遍性の獲得にあと一歩まで迫っている。最後の戦いで三四郎に投げられた後、「まだだ」と叫んで立ち上がる悪の強さの描出を見ても作り手は類型的な悪漢など想定していないことが分る。

 アクションシーンのスローモーション、ヒロインの鼻緒を直す抒情的な場面、最後に敵が一旦立ち上がってから倒れる描写など、今見てみると後の映画に与えた影響の大きさが改めて分る。2016年のゴジラまで一旦倒れた後、立ち上がって「あんぎゃー」と叫んでから沈黙する。後の様々な映画の引用によってそれが悪の強靭さの表現であったことはすっかり忘れ去られてしまっていて、斬新さは薄れているかもしれない。しかしこの映画の動きの面白さと独特の思想は今も変わらず魅力的だ。



 短縮版は映画を知らない人が編集したようで、必要不可欠と思われる部分が欠落している。完全版は今のところ存在しないが最低限最長版で見た方がいい映画だ。

※追記:普及版のDVD、ブルーレイには短縮版のみが収録されているようだ。2002年発売の赤ジャケットのDVDのみ最長版が収録されている。東宝は作品の価値をどう判断しているのだろう?



 下記は「悪」を巡る黒澤明と山中貞雄の違いについて語った、とても興味深い記事
  西山洋市トーク「役に立つ山中貞雄」特別付録/ラピュタ阿佐ケ谷

このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事
コメント

拍手とコメント、両方して下さる方はお手数ですが、コメントは下のコメント欄にご記入下さい。拍手ボタンを押した後に出てくる「拍手コメント」に書き込んでも通常ページには表示されない仕様になっているようです。                       ⋮

コメントの投稿
非公開コメント

年代別

ジャンル別

プロフィール

ぱこぺら

Author:ぱこぺら
批評なので基本的にネタバレです。できるだけ下記の方針で書きます

・作品外の周辺情報を考慮せず作品内の表現に基づいて評価する
・歴史的な読み、評価から離れて現在の視点から論じる

リンク

撮影監督の映画批評

無意識の感情移入など専門的な視点から語られる映画評。個性的。

 

映画中毒者の映画の歴史

創成期の映画史と当時の作品の解説。貴重な情報が多数。


このブログをリンクに追加する