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『淑女は何を忘れたか』表層の魅力と普遍性

監督:小津安二郎 出演:桑野通子・栗島すみ子・斎藤達雄・佐野周二 音楽:伊藤宣二 1937年

淑女は何を忘れたか 喜劇風味の軽い作品。夫に不満げな妻と恐妻家の夫の家庭に、妻の姪っ子がやって来て一波乱起こし、結果的に夫妻の仲を好転させて去っていく。
 たったこれだけの他愛ない物語の中に、誰しもが経験したことのあるような微妙な心の動きが軽く、しかし繊細に描き出される。小さく可愛いストーリーに軽妙洒脱な描写が合わさって、非常に楽しい映画に仕上がっている。

 中でも桑野の演技と小津の演出が作り出す節子のキャラクターが魅力的だ。洋装が決まっていてカッコいいし、社会的な抑圧をまったく感じさせない傍若無人な言動がいい。おそらく当時の日本には存在し得ないパーソナリティだろう。だからこそ観客にとっては痛快で、憧憬の対象たり得るキャラクターになっている。

 節子は屈託なく笑い、しかめっ面を一瞬見せ、フェンシングの剣を振るい、タバコを放り投げ、叔父の小宮にボディーブローを入れる。かわいい外見に似合わず酒もタバコもやるし、ドライブが趣味で「京阪国道をピュウーッと60kmくらい出すねん」とのことだ。野球も大好きなようで日常の出来事をすぐに野球用語に喩えて話し、バーでは「叔父さん何飲んでんの? うちもこれ飲んだろ」とウイスキーをグイッとやり、芸者を見に行って酔っぱらうと ”ここで泊めてもらう” と言い出す。気弱そうに見える小宮には「あんな気ままな奥さん、ボヘンとやったらなあかへん」と不満げだ。
 スタイルがよく、表情豊かで、大阪弁を話す桑野通子が実に楽しい。節子は彼女なしには存在し得ないキャラクターだろう。下手くそなシャックリも含め、そのヘタウマな演技が節子とともに桑野通子という女優の魅力をより浮き彫りにしている。

 実際、彼女は事実上の主人公であり、登場人物で唯一人、自身のテーマミュージックまで持っているのだ。彼女が登場すると決まって「節子の荷物」が奏でられ、ハワイの陽気で優雅な旋律がそのまま彼女のイメージとなる。シナリオにおいても、まず清潔感のある好ましい人物としてさり気なく紹介されて、実際に登場すると個性的な言動で小宮家に波乱を起こし、小宮と時子をさんざん困らせ怒らせるが、それによって2人の関係は好転し、最終的には愛すべきキャラクターとして去っていく。彼女はぶらりとやってきて人々を救って去っていく西部劇の風来坊ような存在だ。
『淑女は何を忘れたか』束の間の別れ
 終盤、彼女は窓の外を眺めて「うち、明日の今時分、もう大阪や……」と言って岡田や観客をちょっぴり寂しい気持ちにさせる。───が、"早慶戦を見る" という強力な動機が野球好きな彼女の再訪を観客に予感させて、映画はお洒落に幸せに別れを演出する。

 他にも、軽く些細な心理の揺れを描くシナリオ、美しい被写体と構図で作られた映像、カット毎に対照的な画と印象的な背景音楽で情感を変奏していく編集など、『淑女は何を忘れたか』は内容よりも表層の魅力が一層際立っている。

 大人たちが苦労する小学校の算数問題の詳細、鰻丼と鰻重の小さな差異、微塵も深刻さを持たない可愛い嘘。2度繰り返される「Don Quihotte」の「I drink upon occasion, sometimes upon no occasion」、節子と岡田、節子と小宮が並んで歩く緩やかな坂道とそこにある門扉や石垣、木の向こうの邸宅。そして微笑ましく洒落たエンディング。何もかもが軽く些細な表層の魅力で構成されている。
『淑女は何を忘れたか』同様の安定した構図が続きつつカット毎に左右が逆転し、床を映していたカメラは徐々に上向き天井を入れ込む
 同様の安定した構図が続きつつカット毎に左右・前後が逆転し、床を映していたカメラは徐々に上向き天井を入れ込む

 
 
 時代を感じさせる描写が多いのもこの映画の特徴だろう。
 小宮は恐妻家で岡田も終始節子に押され気味なのだが、女性の方が男性より強く描かれている割には、栗島すみ子演じる時子が頬を打たれたことで却って夫の小宮に惚れ直したり、自己主張の強い節子が結構、男尊女卑的な価値観を持っていたりする。小宮も女性を子供に見立てて話をする。それらは決して深刻であったり、嫌味に感じさせたりはしないが、作られた世界でありながら作品が作り手や時代を反映してしまっているのが面白い。現実には家父長制の社会だからこそ虚構の強い女性像が魅力的だったのだろう。
 女性たちが皆タバコを吸っているのも時代だろうか? 
 細部を彩る意匠には西洋文化に対する憧れも散見される。登場人物の台詞にこんなものがある。

「でも、いくらあんたが好きだって、フレデリック・マーチみたいな家庭教師いないわよ」
「うち、誤解されるんやったら、ウィリアム・パウエルと誤解してほしいわ」

 当時、アメリカ人俳優をカッコいいと思うのは自然なことだったようだ。きっと彼女たちに「日本人離れしたスタイル」と言っても誉め言葉になるのだろう。日本人の欧米かぶれはどうやらこの頃から変わっていないらしい。結構歴史があるのだ。

 そして、そんな1937年の風俗を捉えた皮相な作品世界はあくまで軽く、節子という時代から突出した虚構性際立つ人物がいて、そこで他愛のない微小な物語が展開する。
 しかし、それでも登場人物たちの何気なく小さな心の動きには確かに普遍性が備わっていて、現代の我々が見ても容易に感情移入できてしまう。不易流行と言うべきか、軽佻浮薄な風潮を背景にしていても、また、虚構性露わな人物を描いていても、小津ならではの魅力が健在だ。

 表層の魅力を支えて通底するこの遠慮がちな普遍性こそ、『淑女は何を忘れたか』の最大の美点なのかもしれない。

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