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『ヴァンパイア』(カール・ドライヤー) 映像の面白さと古びた物語

監督 カール・テオドア・ドライヤー 1932年 フランス・ドイツ映画 (別題:『吸血鬼』)

ヴァンパイア/吸血鬼 実体を離れて動き回る影
 動き回っていた影が本来の位置に戻り
 実体に添って立ち上がる。
 最初期の吸血鬼映画の一つ。自律的に動き回る影の表現、死者の目から見た風景、二重露光で分裂する人物など、視覚的な面白さの優った映画だ。

 カール・ドライヤーは前作『裁かるるジャンヌ』の芸術的な成功にも関わらず、ここでは全く異なるアプローチ、技法を用いている。作品に最も相応しい表現を模索した結果なのだろう。その創意工夫が非常に魅力的な映像を作り出している。シナリオは若干分り辛いが冒頭、字幕で「現実と非現実が区別できなくなった」と語られる主人公の主観の曖昧さをその分りにくさが体現していて幻想的な雰囲気を漂わせる。

 ただ脚本には物語としての面白さが乏しい。現代の一般的な観客にとっては退屈な部分が出てくるのは避けられないだろう。今では陳腐な類型となってしまったオーソドックスな吸血鬼の物語だ。古典と呼ばれる作品が備えるような普遍性はなく、観客に感情移入させる描写にも欠けている。とは言え、独創的な映像と語り口の難解さに伴う幻想性の魅力は健在だ。

 カメラの動きは特徴的で、かなり自由に動く。動き回るカメラの恣意的な視点が、やはり自由に動き回る影を写し続け、やがて主観ショットに変わりもする。
 カメラが主人公アランの視線に合わせて急にその視線の先にパンしたかと思うとすぐにアランに振り戻したり、気絶した姉を屋敷に運び入れる場面では、妹の動きに合わせたパンのように動き出したカメラが彼女を通り過ぎて屋敷内をトラックバックしてしまう。そのカメラの動きに合わせるように別の人物達が現れ、カメラに向かって歩いてくる。最後はその手前にいたアランを入れ込んで、彼に合わせてパンする。ここまで1カットだ。人物をカメラが追うのではなく、カメラの動きを人物が追いかけていく。その描写は多くの場面で物語の展開を他律的に感じさせ、幾分観客の感情移入を阻みつつも、何者かの意思に囚われ、誘導されていくような幻想性を生み出している。

 主観ショットの使い方は個性的だ。この映画は題材的にはホラーだが、主観ショットが観客を驚かせたり、怖がらせるためではなく、死者の目から世界を眺めているような、その幻想的で不思議な情感のために使われる。棺桶の中、死者の視点から見上げるという特殊な状況が、見上げた空と建物が揺れながら動いていく映像を自ずと美しく魅力あるものにしている。


ヴァンパイア/吸血鬼 棺の中のアラン
棺の中のアラン。ここから棺から見上げた主観カットとなる。
 被写体では影の表現がとても面白い。画面左に無人の階段があり、右に映るその階段の影を人影が上って行ったり、ベンチに座った人物の元に自由に動き回っていた影が戻ってきてその人物の影として一体化したりする。壁に映る時計の歯車や踊り、楽器を演奏する影たち。二重露光で一人の人物を分裂させて存在させるのも個性的で面白い効果だ。

 二つに分裂して動き回る主人公は物語としても不思議な展開だが、『ヴァンパイア』は描写、脚本ともほとんどの場合恐怖ではなく、幻想性を意図した演出がなされていて、不可解な展開と描写が、多くの場面で作品世界における事実性を曖昧にする。
 脚本がイメージを見せるための装置のような役割になっていて、物語的な魅力は少し弱いが、その分、独創的かつ幻想的な描写が非常に面白い映画だ。

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