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『カリガリ博士』 世界を表現の対象とした映画

監督 ロベルト・ヴィーネ 1920年 ドイツ映画

 この映画を見たことはなくとも『カリガリ博士』の名を聞いたことがないという人はいないだろう。『フランケンシュタイン』や『ジキル博士とハイド氏』は小説が原作だが、『カリガリ博士』はこの映画がオリジナルだ。ドイツ表現主義の代表的な作品で、現在に至るまで世界の映画に影響を与え続けている。日本においても衣笠貞之助の傑作『狂った一頁』はこの映画に触発されたものだ。

『カリガリ博士』 チェザーレがジェーンを襲う場面
 チェザーレがジェーンを襲う場面
 奇怪なセットと背景画だけで作られた歪んだ作品世界。それを固定したカメラで撮影し、殊更舞台劇のような印象を強めている。その人工的に作られた特異な世界がこの映画の魅力だ。監督のロベルト・ヴィーネの手腕によるものだろう。さらにフリッツ・ラングの加えた脚色によってその奇妙な世界はフランシスの狂った主観世界の表現ともなっている。フリッツ・ラングはプロローグとエピローグを付け足しただけだが、それが作品の性質を決定的に変えてしまった。その変更がなければ『カリガリ博士』はもっと凡庸な映画になっていたことだろう。彼の才能が光っている映画でもある。

 また、これはある程度無声映画に共通する特徴だが、舞台劇のように大げさな演技、フィルムに直接文字を書き込んだ漫画のような描写など、記号的な表現も特徴的だ。チェザーレがジェーンを攫う場面でも人々が窓から身を乗り出して上方を指さすことで次のカットでのチェザーレの位置を示していたりする。

 脚本はミス・ディレクションが意外性を生み、物語としての面白さがある。初見なら間違いなく楽しめるはずだ。描写の魅力に比較すると物語は少し古びて見えるかもしれないが、しかし、優れている。描写の魅力を支えているのは実は脚本だ。この映画では物語が描写をフランシスの主観として作品内に構造化していて、だからこそ描写が単に造形の面白さとしてだけでなく、作品内で意味を帯び映画としての魅力に昇華されているのだ。

『カリガリ博士』 ラスト、精神病院のフランシスとジェーン
 ラスト、精神病院のフランシスとジェーン
 この映画のラストは最後になってそこに至るまでの展開を否定してしまうという点では、いわゆる夢落ちと同じだ。そこからの重要で魅力的な発展は、それまでの描写が完全に意義を失うわけでなく、客観的な事実から主観的な妄想へと作品世界の性質を一変させてしまうことだ。現在においては単純すぎるどんでん返しに見える観客もいるかもしれない。しかし、その魅力は推理物などに見られるような、世界内でのどんでん返しによる知的なゲームとしての面白さとは異なる。諸々の価値観を含めた世界そのものの変容の面白さだ。この時、映画が我々観客の、世界と自己への認識を変える力を持ったのだ。優れた脚本であり、クレジットされていないがフリッツ・ラングの着想が素晴らしい。このラストが解釈の多様性も生み出している。

 『カリガリ博士』は映画において人物でなく、人物の存在する場に過ぎなかったはずの世界を前景化してみせた映画であり、映画における物語の型の一つを生み出した作品としても評価されるべきだろう。

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