FC2ブログ

記事一覧

HOME

『メアリー女王の処刑』 映画の始まり

監督 アルフレッド・クラーク 1895年 アメリカ映画 (原題『The Execution of Mary, Queen of Scots』)

 キネトスコープで公開された作品。複数の人間が暗闇の中で同時に一つのスクリーンを見る現在の映画とは異なり、個々の人間が箱の中を覗き見る形式だ。媒体の違いによって現在の映画視聴とは体験の質が異なっていただろう。より私秘的で、他者との感動の共有が乏しいものであったことからキネマスコープはシネマトグラフに道を譲ることになったのだろう。

メアリー女王の処刑 後発のシネマトグラフによる『ラ・シオタ駅への列車の到着』や『工場の出口』などと同様に作品は18秒程と現在の感覚では非常に短く、カメラは固定されて1シーン1カットのみでできている。まだ物語を導入していない映画にとっては自然な映写時間であり、固定された映像も大掛かりなカメラをわざわざ動かすよりも固定するのがやはり当然のことだったのだろう。
 『メアリー女王の処刑』に限らず当時の作品は非常に単純で、その分映画の持つ原初的な魅力がよく分かる。それはまず第一に我々観客に普段意識していない自らの視覚や見るという行為を改めて意識させて異化作用を生み出していることだ。現在ではあまりにも当たり前のことになってしまい、我々は感性的な不感症に陥ってしまっているかもしれないが、映画の魅力の基礎を成す部分だろう。
 また、当時の制作者がそれほど意識的であったとは思えないが、リアリティの持つ力も明らかだ。現代の商業映画はほぼ全てが虚構だが、『ラ・シオタ駅への列車の到着』や『工場の出口』などはドキュメントだ。ごく自然に見る価値のある映像と感じさせる力がある。一方、『メアリー女王の処刑』は歴史上の出来事を描いているのだから勿論役者や衣装、小道具などによって作られたものだが、一旦カメラを止めて役者と人形を入れ替えて撮影を再開し1シーン1カットのように撮ることでリアリティを生み出している。現在の視点から見ると雑なフィルムの繋ぎで、撮影方法が丸見えなのは残念だが、その映像がリアリズムを志向していることははっきりと分かる。制作者の意図は分からないがその成果は明白だ。技術の進歩した現在ならカットを割ることもあり得るだろうが、そうした場合描写からリアリティが失われ観客を白けさせることもまた明らかだ。虚構においても描写にはリアリティが必要なのだ。

 その虚構であるということが『メアリー女王の処刑』の特徴の一つでもある。リュミエールの作品と異なり、同時代の風景を写し取るのではなく、わざわざ16世紀の意匠を再現してメアリー女王の処刑という劇的な歴史的瞬間を描いている。映画が物語を導入していくその萌芽だ。そして映画史上初の殺人描写と特撮も行われていて、より観客を驚かせ、楽しませようというエンターテイメント志向が表れている。ここから映画が始まったのだ。


   

このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事
コメント

拍手とコメント、両方して下さる方はお手数ですが、コメントは下のコメント欄にご記入下さい。拍手ボタンを押した後に出てくる「拍手コメント」に書き込んでも通常ページには表示されない仕様になっているようです。                       ⋮

コメントの投稿
非公開コメント

年代別

ジャンル別

プロフィール

ぱこぺら

Author:ぱこぺら
批評なので基本的にネタバレです。できるだけ下記の方針で書きます

・作品外の周辺情報を考慮せず作品内の表現に基づいて評価する
・歴史的な読み、評価から離れて現在の視点から論じる

リンク

撮影監督の映画批評

無意識の感情移入など専門的な視点から語られる映画評。個性的。

 

映画中毒者の映画の歴史

創成期の映画史と当時の作品の解説。貴重な情報が多数。


このブログをリンクに追加する