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『赤い影』 意図と表現の乖離

監督 ニコラス・ローグ 1973年 イギリス・イタリア映画

赤い影 池で溺れるクリスティン 『赤い影』はオカルト映画であり、また一組の男女の心理を描いた映画でもある。恐怖の演出は煽情的でなく、意味ありげな描写と展開でじわじわと怖がらせようというスタイルだ。主人公の男女の心理はその志向の違いを含めて丁寧に描かれている。その確かなキャラクター描写と被写体としての冬のベネチア、赤い色などが印象的な映画だ。ただ、残念なことにそれら以外の部分には粗が目立ち、全体として作品の出来はあまりよくない。市販されているDVDにはスタッフのインタビューが収録されていて、宣伝も兼ねて多少誇張されているようだが、制作意図が分かり易く語られている。そこに見られる作り手の制作意欲は素晴らしいのだが、その意図を十分に表現することはできなかったようだ。もしかしたら先にインタビューを見てから作品を鑑賞した方が興味深く見られるかもしれない。

 主役の男女二人のキャラクターはとてもうまく描かれている。
 ジョンは超常現象など欠片ほども信じておらず、自分の悪い予感と娘の死が連続する出来事として起こっても、それらを結び付けてオカルト的な意味を見出したりはしない。妻のローラに対してもはっきりと娘の死という事実を突きつけて、霊能者の言葉に一喜一憂する彼女をたしなめる。しかしその上で霊能者の言葉に彼女が慰められたことは事実として正しく認めていて、最終的にはそこにいるはずのない娘の姿を追って殺されてしまう。健全でバランスの取れた性格でありながら、感情豊かで喪失感を抱えた人物として描かれ、ドナルド・サザーランドの演技も含め優れた人物表現となっている。
赤い影 亡くした娘のために蝋燭を灯すローラ ジュリー・クリスティ演じるローラは怪しげな霊能者の言葉に感情的に慰められる様子が描かれていく。彼女はそれが事実である保証はどこにもないのだが、娘の霊が幸せだという言葉に救われる。しかし、夫にたしなめられると自分には「旅行は早すぎたのかも」と言い、精神安定剤を飲む振りをする。自らの言動の非常識さを理解しているのだ。彼女は理屈の上でおかしいことは分かっていて、その上で感情を優先させている人物だ。こちらもそのキャラクターがとても巧く描かれている。
 しかし、このストーリー展開であれば必要不可欠なはずの娘の死による憔悴が描かれていない。彼女の変化は老姉妹に会ってからの「娘の死を乗り越えたようで生き生きとしていました」というジョンの台詞だけで語られてしまう。描写の対照がなく、勿論その魅力もないのが非常に残念だ。
 それでもこれら二人の人物はその性格が深く掘り下げられていて、この映画で最良の部分となっている。

赤い影 ロンドンに戻ったはずのローラをベネチアで目撃する場面 他にもジョンが船に乗ったローラを目撃し、後に彼女がロンドンにいたことが分かる不思議な描写と展開が魅力的だ。少し遅すぎるがその不可解さが作品の求心力となっていて以降は観客を退屈させることもない。

 ただ、全体としてはそれらの美点に不釣り合いな拙劣さの方が目立っている。
 主役の二人以外の人物は驚くほど雑に扱われる。意味ありげに挿入される霊能者ヘザーや窓の外を歩く老姉妹のカット、殺人者のビジュアルなど、意味ありげで実は無意味な、不気味さを演出するだけの描写が頻出し、彼らの人格は手っ取り早く物語を盛り上げるための便利な手段として扱われる。人物描写に見られるこの激しい落差は何なのだろう? それらの安易さが映画をいたずらに冗長に、そして安っぽいB級映画にしていく。

 赤い色の演出も編集のアンソニー・B・リッチモンドが語る程には徹底されておらず、赤はジョンの娘や殺人者に限定されず、背景にある洗濯物や通行人の衣服などにも使用されてその効果を減殺されている。彼と監督の方針には多少齟齬があったようだ。

 編集には計算違いがあるように見受けられる。自然なラブシーンは描写そのものが印象的ではあるが、冗長だ。夫婦の自然な営みという意味付けしか与えられていないので観客には無用な長さを感じさせる。丁寧で長い描写は作り手の思い入れを示しているが、それは観客には何の関係もない。同様に、修復作業中のジョンの事故も特に意味を与えられた描写ではなく、ショッキングではあっても謎やサスペンスは生み出さない。単なるハプニングの描写としてはやはり長すぎる。

 『赤い影』では超自然の現象が肯定される。冒頭でジョンが何の根拠もなく娘の危機を感じると同時に実際に娘が死ぬという不幸で不思議な場面から始まり、盲目の女性ヘザーがジョンにベニスに留まると命の危険があると言い、実際にジョンはベニスで死ぬ。ジョンが自分の死んだ後の風景を幻視する場面もある。この映画の中では事実としてジョンは予知能力を持ち、ヘザーは死者と交流ができ、そうであるからには当然霊魂が実在するということだろう。まさにオカルト映画だ。虚構なのだからその設定自体には何の問題もない。ただ、その設定が意味を確定させてしまい、もう一つのモチーフである男女の物語の意義を殺してしまっているのは大きな問題だろう。
 作品世界が最終的に超自然現象の存在を許容することで、ジョンの世界認識が否定され、ローラの言動の正しさが事実として固定されてしまう。事実の確定できない不可解な出来事がそれに対する二人のそれぞれの性、それぞれのキャラクターを際立たせ、その描写に魅力を与えていたはずなのに…。意味を決定させ二人の考え方の違いに優劣をつけてしまうことで、優れた人物描写の魅力が大きく損なわれている。

赤い影 なぜか自ら門を閉ざし孤立して殺されるジョン また単純にオカルト映画として見た場合にはさらに中途半端で、実際に観客に体感させる超常現象の描写は、話も終盤に差し掛かったジョンの幻視シーンのみだ。序盤からそこまで虚構世界のリアリティが確立されないまま物語が展開していくので、最後まで半信半疑なまま作品に入り込めない観客も多いだろう。
 ラストまで超常現象の真偽を決定させないことでそれを謎として扱い、観客の興味を喚起する試みだったのかもしれないが、それならもっと明白な謎が必要だ。謎が超自然現象の有無では無理がある。そんな作品外で決定されてしまうような恣意的な要素を謎として扱っても観客は興味を惹かれないし、考えようともしないだろう。
 オカルト要素と推理劇要素を導入しながら、それらの魅力とその違いについて深く考えないまま作られているのは明らかで、結果としてオカルト、謎解きいずれの要素にも魅力がない。

 『赤い影』は総じて志に対して技術の未熟さが勝ってしまった作品のように見える。求心力に欠ける物語の展開、オカルトと男女の関係という二つのモチーフが互いに魅力を殺し合っていることなどがやはりこの映画のもっとも大きな弱点だろう。
 しかし、この作品は編集のリッチモンドによれば監督ニコラス・ローグが自らの方法論を試行したものだ。技術は才能とは違って経験によって向上するのだから、きっと彼らの次回作はもっとよくなっているだろう。

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