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『ブルーベルベット』 優れた技巧と社会の暗部

監督・脚本 デヴィッド・リンチ 1986年 アメリカ映画

 類型的な題材を扱いながらも個性的な映画だ。一見ありきたりな犯罪スリラーのような物語が展開していくが、その定型的な物語を語るストーリーテリングの巧さ、キャラクター、描写など全てが類型からズレたオリジナリティを見せ、やがて人と社会の後ろ暗い裏面を前景化していく。
 また、全編技巧が冴えわたっていて、その技術の確かさは「この部分が巧い」というようなものでなくて、何もかもが巧い。突出した部分がないので却ってその技巧の素晴らしさが目立たないのではないかと思われるくらいだ。音の演出も個性的で、その点に着目すればミュージカルではないが、一種の音楽映画と言っていいかもしれない。

ブルーベルベット 苦しみ倒れる男性。50年代の長閑な風景に幼児とじゃれつく犬。背景音楽の「ブルーベルベット」。それぞれ異なる情感を持つ構成要素が不協和音を奏でて新たな情感を生み出す。
 苦しみ倒れる男性。50年代の長閑な風景に幼児とじゃれつく犬。
 背景音楽の「ブルーベルベット」。それぞれ異なる情感を持つ
 構成要素が不協和音を奏でて新たな情感を生み出す。
 映画は男性が庭に水を撒いている何気ないシーンから始まる。その一見ありきたりなシーンがもう魅力的だ。50年代アメリカの田舎町、ボーカル入りの懐かし気な背景音楽が作り出す長閑な情感。そこに起こる突然の発作。その非常事態とじゃれつく犬やよちよち歩きの幼児などの表す日常性がせめぎ合い、緩やかな音楽は突然その意味を反転させ対位法的な効果を発揮する。そこから不気味な効果音とともに庭の穴の中に入っていくカメラ。蠢く虫。

 ファーストシーンから様々な表現が効果的に積み重ねられた描写で始まり、それが物語の上でも一見平穏な日常に潜んでいる暗く醜い世界への心理的な導入となっている。ありきたりなシチュエーション、どこかで見たことがあるような場面と展開が、優れた監督の手にかかるとこれほど流麗な表現に生まれ変わるのかと驚かされる。

 そしてジェフリーが登場し、切り取られた耳を拾うことで物語が展開を始める。描写においては彼が明るい光を背に真っ暗な階段を下り、カメラが切り取られた耳から再度、暗闇の中に入っていく様子が繰り返されて彼にオーバーラップする。どうやら世界の暗部に下っていくのはこのジェフリー、主人公のようだ。

 観客はジェフリーとともに人間の耳が野原に落ちているという異常な事態からドロシー、フランクと異常性を増していく社会と人間の暗く歪んだ深部へと降りていく。ジェフリーとサンディの若く好奇心旺盛なキャラクターがその展開を自然に見せ、観客をスムーズに誘導していく。ドロシーの不幸な境遇、アブノーマルな性癖、フランクの異常さと凶暴性、警察署内にいる黄色い服の男などを観客はジェフリーとともに覗き見ていくことになる。映画を見るという行為に重なる窃視の密かな快感、目撃される異常さと危機感。それらがその都度、観客の関心と緊張を喚起して全く飽きさせない。その展開の中でサンディにはコマドリと幸福を結び付けて語らせていて、すでにハッピーエンドの準備もできている。

ブルーベルベット 穴の中に入っていく視点とそれを描写する擬態音。
  穴の中に入っていく視点とそれを描写する擬態音。
 色鮮やかな花々、ボブの家でソファーに座る太った女性たちなど、個々の場面の設定・描写も一々が個性的で、新鮮で魅力ある表現が次々と出てくる。レンガ造りの壁に映る半円形の光と工場の影、カット繋ぎに先行するカーラジオの音楽と唐突に消えるフランクの姿、血を流して死んだように立っている黄色い服の男と耳のない男。いずれの描写もまさに表現の名に相応しい新鮮さだ。


 ラストではカメラが暗い耳の中から脱出し、冒頭で穴の中に蠢いていた虫を幸福の象徴であるコマドリがついばみ、冒頭と逆順で黄色いチューリップ、消防車、赤いバラと辿り、明るく正常な世界に戻ってくる。我々観客は平和な日常に帰ってきたのだ。こうして陰惨な世界を描いてきた映画は一転して幸せに幕を閉じる。計算されたスムーズな誘導が快い。

 『ブルーベルベット』は確かな技術に支えられた職人芸のような映画だ。脚本から編集まで全てが全編に渡って的確で危なげない。作り手の腕の確かさに観客は安心して身を任せ、内容に集中して映画を楽しめる。そして暗い劇場の中で淫靡で危険な世界を覗き見させてくれる、映画を見るという行為とパラレルな面白さを持った映画だ。


 音の演出は特に際立っている。背景音楽から効果音まですべての音が他に考えられない程、映像にピッタリと嵌まっていて、ほとんど途切れることがない。
ブルーベルベット 異常な状況を際立たせる不快な電気音。そしてそこに重ねられるどこか懐かしげな「Love Letter」。その歌は緊迫した銃撃戦にまで及ぶ。
 異常な状況を際立たせる不快な電気音。そしてそこに重ねられる
「Love Letters」。その歌は緊迫した銃撃戦にまで及ぶ。
 背景音楽とドロシーの歌う現実音としての「ブルーベルベット」、ベンが灯りをマイク代わりにして歌うロイ・オービソン、緊迫した場面での唐突な「Love Letters」など、シーンによっては音楽が主役として前面にフューチャーされ、50年代の流行歌が情感たっぷりに映画を彩る。それらは背景音楽として、または登場人物が舞台で歌い、ラジオから流れてくる現実音として処理される。それによって場面の情感を盛り上げつつも、ミュージカル映画のようにリアリティを破壊することなく、作品世界の緊張感を持続させる。
 また終盤の緊迫したドロシーの部屋では、壊れたテレビが発する不快な電気音が効果的に使われ、どんな背景音楽を使うよりも生々しい怖さと臨場感を生み出す。更にそこに50年代のポップソングが突然重ねられ、観客は急激にまた別の感情に誘導される。本物の危機が訪れるのは観客がその音楽に安らいだ後だ。緊張と弛緩の間を見事に揺さぶり続ける。

 効果音においても、我々の視点が庭の片隅にある小さな穴や耳の穴の中に分け入っていく際の架空の効果音、悪夢や性の陶酔の中で響く不気味な声と音など、擬態音とも言うべき効果音の使い方が実に個性的だ。本来存在しないはずの音声が表現されるところにも新鮮な魅力がある。また、揺れる炎、歪んだ視覚、倒錯したセックスなどの映像描写が更に擬態音によって描写されてその魅力を増す。

 音の演出がここまで見事に効果的では、「音楽を多用し過ぎだ」「描写が音響効果に頼っている」などと批判するのはもはやナンセンスだ。それにこの映画はそもそもの映像表現も素晴らしいのだから。優れた音楽映画と言った方がずっと適切だろう。

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