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『アイズ ワイド シャット』 ある事柄についてのシンプルな映画

監督 スタンリー・キューブリック 1999年 イギリス・アメリカ映画

 キューブリックの映画は難解であるという世評があるが、決してそんなことはない。表現は曖昧さを徹底的に排除していて常に明快だ。逆に明快さこそが彼の特徴であり、作品そのものは極めて単純にできている。『時計じかけのオレンジ』などは明快過ぎて露悪的なほどだし、『2001年宇宙の旅』のシンプルな表現を複雑に、また哲学的に解釈しようとするのもあくまで観客の側だ。『アイズ ワイド シャット』でもそれは変わらない。彼の映画は常に無神論的であることで、我々観客の人間的な感情に対しては結果的にアイロニカルな表現となり、分り辛さを感じさせる。しかしこれは観客の側が倫理など人間的な意味を持ち込むことで難解さを生み出してしまっているだけだ。我々が映画の鑑賞に無用な前提を持込みさえしなければキューブリックの映画ほど分かり易い映画はない。そして我々観客が予想もしなかった視点から世界を再構築して見せてくれる。ちなみに『アイズ ワイド シャット』はファックについてのシンプルな映画だ。

『アイズ ワイド シャット』 トイレで用を足すアリス。映画はあくまで形而下の世界を描く。
トイレで用を足すアリス。映画はあくまで形而下の世界を描く。
 性と夢を結びつけたこの映画を見てフロイトを連想する人も多いだろう。実際、原作『夢奇譚』がすでにフロイト的な小説で、作者のアルトゥル・シュニッツラーはフロイトと親交もあったそうだ。
 『時計じかけのオレンジ』で人格を物として扱い、『2001年宇宙の旅』で神を否定したように、常に形而下の表現に固執するキューブリックと、当時の良識に反して ”深遠な” 人間の心理を性欲に還元したフロイトとは非常に親和性が高いように見える。彼がこの原作小説に惹かれたのも当然のことだったのかもしれない。

 余談だが夢を描いた英語圏の映画には『飾窓の女』のアリスや『マトリックス』のうさぎ等、『不思議の国のアリス』の引用がよく現れる。偉大な先駆者へのオマージュだろう。ここでもアリスが登場する。

 内容は性を巡る主人公の冒険と夫婦の葛藤を描いている。夫婦間の嫉妬は当人たちにとっては重大でも他人から見ると他愛のない問題で、それほど普遍性を持たないモチーフかもしれない。しかし、それはこの映画を楽しむ妨げにはならない。あくまで現実として描かれながらそこに漂う茫漠とした非現実感、奇妙に符合しつつも決して辿り着けない事実などが魅力となっていて、夢を見たことのある人なら誰もが楽しめる映画となっている。全編に漂う悪夢のような幻想性、洒落ていてアイロニカルな構成、サスペンスなど多彩な面白さがあり、それらが役者の演技力に比重を置いた正攻法のドラマ演出で緻密に描出されていく。

 女性が服を脱ぎ裸になるとタイトル『アイズ ワイド シャット』が大きく表示される。皮肉っぽく洒落っ気のあるオープニングだ。そしてすぐに彼女がトイレで用を足す場面が出てきて、ラストも彼女の「ファック」で終わる。人物描写が即物的で、いかにもキューブリックらしい。元来の彼のスタイルが特にこの映画には合っている。

 トム・クルーズ演じるビル・ハーフォードは妻アリスに性的夢想を告白されて激しいショックを受けて、以来彼女が別の男と性交するビジョンに取りつかれ、自分も売春婦を買ったり秘密の乱交パーティーに参加したりと性を巡る冒険に踏み出す。物語の発端は他愛ない嫉妬だが、女性に性欲があることを初めて知ったようなビルの狼狽振りが彼の真面目なキャラクターを表していて、一夜の冒険を描く物語をリアルに、そして興味深いものにしている。

 演出は非常に正攻法的で、彼や特にアリスを演じるニコール・キッドマンの演技力によってドラマの緊張感が維持されていく。

『アイズ ワイド シャット』 不自然に頻出する性的描写
  不自然に頻出する性的描写は主人公の主観世界の表現ともなっている。
 描写には性的描写が頻繁に出現し、冒頭のパーティーの場面ですでにビルとアリスの双方に誘惑があり、ビルは患者の家に赴くとその娘に突然キスされ、夜の街をうろつくと抱き合うカップルが目に入り、売春婦には声を掛けられる。あくまで現実の出来事として描かれているが、その不自然な性の頻出によって徐々に作品世界そのものが彼の関心を反映した主観世界のような様相を呈してくる。

 その中に現れてくる特異なシチュエーション。貸衣装店での場違いなやり取りや奇怪な仮装パーティーには悪夢を見ているような非現実感が漂い、仮面を取り全裸を強制される展開は羞恥心を喚起し、まさに夢そのもののようだ。その不思議さが魅力的で、その後のニックの拉致、尾行者の存在や氏名を知られている恐怖、マンディの死などがサスペンスフルに、また別の面白さを見せてくれる。

 描写は奇怪な乱交パーティーで頂点を迎えた後、奇妙な符号を示し出す。新聞の大見出し「lucky to be alive」はビルの隠された心理を明示しているかのような恥ずかしさを感じさせる。貸衣装店の店主が警察に突き出すと言っていた男たちを「事情が変わった」の一言で済ませる違和感、言葉の上だけで語られる売春婦やニック、マンディの顛末の不確かさ、そしてアリスの横に何気なく置かれている仮面…。全ての辻褄が合っていながら全てが因果律と語られる当の対象の存在を欠いているではないか!
 貸衣装店の店主と二人の男の、前夜の出来事がなかったのかのような不思議な関係の刷新、なぜどのような経緯を経てその瞬間そこに存在しているのか全く不明な仮面の存在。また、マンディは死体となって語る言葉を持たず、売春婦やニックは存在が秘匿されている。
『アイズ ワイド シャット』 非現実感が漂う悪魔崇拝者の儀式のような秘密のパーティー
  非現実感が漂う悪魔崇拝者の儀式のような秘密の会合
 現実でありつつ、起こる出来事の何もかもが不可解な夢の論理に囚われていて、説明や解釈は成立しても事実は全く明らかになっていない。まさしく悪夢そのものだ。
 更に夫婦の最後の対話がビルの体験が夢であり、アリスの夢が現実であった可能性をも浮上させて、ついには茫洋とした悪夢の印象が作品全体を飲み込んでしまう。

 そしてラストがまた冒頭と呼応して洒落ている。二人は、揺れ動く不合理な心理よりずっと確かなものを見出す。───ファックだ。こうして形而下から始まった映画は再び形而下に着地して終わる。

 現実的でありながら夢の不可解さを醸成する描写と展開が実に魅力的だ。夢を夢のまま描いても非現実的なだけで観客を白けさせたことだろう。しかし『アイズ ワイド シャット』は緻密な演出で、あくまで現実として作品世界を成立させ、その上で現実のリアリティの中に言い当てることのできない奇妙な違和感と不気味さを醸成する。夢を見ている最中に感じる奇妙なリアリティの見事な再現だ。

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