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『レディ・プレイヤー1』 夢想する力への祝福

監督 スティーブン・スピルバーグ 2018年 アメリカ映画

 『レディ・プレイヤー1』は人の夢想とそれによって創造された世界への祝福だ。たとえその発端と実態が現実からの逃避であったとしてもそれはもう関係ない。なぜならイマジネーションはそれ自体として素晴らしいものなのだから…。『レディ・プレイヤー1』はそういう映画だ。

レディ・プレイヤー1 ガンダム 映画はファーストシーンで手短に主人公と彼の生きる環境を紹介すると、彼自身のナレーションによって状況を説明し、80年代のポップソングに乗せてサクサクと物語を展開していく。慌ただしく、情緒の欠片もない導入だが、とにかく分かり易く楽しくということだろう。それ故、描写は表現というより説明に傾いていて、初めの内はつまらない娯楽映画の典型のように思えるかもしれない。
 物語も極めて類型的で、御都合主義満載で展開していく。善良で純粋な動機を備えた典型的な主人公像、ヒロインとのあり勝ちなロマンス、邪悪な悪漢。悪役がわざわざ事前に自宅の爆破を主人公に教えたり、どこの誰かも分からないはずのオアシス内の仲間達が現実世界で次々と出会えたり、といった調子だ。

 しかし実際のところ、それらの欠点はこの映画の面白さをそれほど損ねてはいない。語り口は粗雑だがこの作品の魅力は仮想世界の方にあるので、現実描写は最低限のリアリティさえ確立できればどんな方法であろうとそれで十分だったようだ。その語り口が却ってテンポの良さにも繋がり、描写よりも物語やキャラクターに比重を置いた娯楽映画としての楽しさの一部となっている。
 ありきたりで都合の良い展開も浅いリアリティの水準が幸いしてさほど気にしないで済む。何よりそんな欠点を気にするより、VR世界で理想的な姿に変身し、現実の世界で我々を拘束する物理法則から絶妙にはみ出して活躍する主人公が、我々観客の願望や全能感を満たしてくれる楽しさの方がずっと大きいのだ。

レディ・プレイヤー1 メカゴジラ CGで作られた非現実的な世界や多様なキャラクターは魅力的だ。作品内の現実世界に存在すればリアリティを損ねて欠点にもなっただろうが、それらを作品世界の内部にあるVR世界の特性とすることで映画のリアリティを壊すことなく、逆にその魅力を存分に爆発させる。作品世界のリアリティと魅力の確保が非常にうまい。
 これはアメリカの娯楽映画自体の長所でもあるだろう。『マトリックス』などにおいても、往々にしてリアリティを壊し観客を白けさせる実写におけるアニメ的なカッコいいアクション、香港映画の非現実的なワイヤーアクションをマトリックス内に限定して使用することでリアリティを与え、その魅力を引き出していたし、アメコミを原作にした映画でも荒唐無稽なキャラクターを何とか現実世界にリアルに存在させようと努力している。こういったリアリティに対する配慮もアメリカのエンターテイメント映画が世界的に好まれる一因になっているのだろう。

 そして、何よりこの映画には特別な面白さがある。劇中に数え切れないほど出てくる他作品の引用だ。それらが原典の魅力をそのまま持ち込んでくるので、個々のシーンの魅力が魔法のようにどんどん倍増していく。主人公のウェイドは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』仕様のデロリアンに乗っているし、ヒロインのアルテミスは『アキラ』の金田のバイクで颯爽と走る。仲間には更に忍者や、何と三船敏郎がいるではないか! ウェイドとアルテミスはステイン・アライブを踊り、『シャイニング』のホテルは恐怖でいっぱいだ。その上、クライマックスにはメカゴジラ対ガンダムというドリームマッチまで用意されている! これで面白くならない訳がないだろう。映画ファンにとっては夢のようなオールスター映画だ。

レディ・プレイヤー1 金田のバイク また、物語そのものは類型的であっても、その中に組み込まれたハリデーの人生はそうではない。『レディ・プレイヤー・ワン』の最大の美点は、謎を解き明かしイースターエッグを探すゲームの進展がそのまま映画のストーリーとなり、それが実はオアシスの創始者ハリデーの人物描写となっている構成だろう。
 解き明かされる謎は全てハリデーの人生の大切な瞬間であり、現実からゲームの世界に逃避していた寂しげな子供時代、ゲームにルールがあることを嫌い、世界を作ろうとするモチーフはゴールを目指すという当たり前の前提への反逆からオアシスそのものの構築にまで繋がっているのだろう。オアシス最後の鍵はゲームをクリアすることなくイースターエッグを探してゲームの世界をくまなく歩き回ることだ。粗雑で味気ない現実を生きる彼にとってゲームは単にルールに従う遊びではなく、現実に匹敵するだけの自由の広さが、世界が必要だったのだ。現実では繊細すぎる彼はキーラをダンスに誘うこともできず、親友のモローとも仲違いしたまま亡くなる。
 『市民ケーン』でケーンが死の間際に呟いた「薔薇の蕾」は誰に知られることもなく焼失したが、ここでは最後にハリデーがもっとも気に掛けていたその答がモローに伝えられる。古い映画の引用がもたらすかつて伝えられなかった思いが数十年の時を経て伝えられたかのような感慨、二人の友情に込められた優しさ、そしてその大切なものが永遠に失われ、もう二度と取り戻すことのできない喪失感…、様々な情感が込められている。スピルバーグらしくそこには悪意もまったく介在しない。
 この純真で悲しい物語が典型的なSFアクションものの枠組みの中に再構成され散りばめられている。この作品に意義を与えている根幹だろう。

少年時代の孤独なハリー 幼稚ではあるかもしれないがそれ故、純粋で憧憬に満ちた子供のような夢想…そのスピルバーグの最大の魅力は『オールウェイズ』以降、失われたようにも見えていた。しかしここではそれが見事に具現化している。

 悪漢がラストで銃を撃つのを躊躇うのも、自らの敗北が決定的になったからではなく、イースターエッグを手にしたウェイドに心打たれているためであるように見える。悪意に満ちた現実ではいかにもありえなさそうなことだが、実にスピルバーグらしい演出だ。父親が娘のために人を殺す『宇宙戦争』の残酷な現実よりこちらの方がずっと彼に相応しく、また魅力的に見える。

 最後にウェイドがオアシスを火曜と木曜を休みにするのはスピルバーグの成熟した大人としてのささやかな刻印だろうか。

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