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『ミッドナイト・イン・パリ』 芸術家たちの描写が面白い

監督 ウディ・アレン 2011年 アメリカ映画

 軽くてオシャレな…もしくは軽薄で気取った映画。どちらの印象になるかは観客次第だが、しかし実はただ軽いだけではなく自己言及的なアイロニーも多分に含んでいる。かと言って重く深刻に考えさせるようなこともしない。独特のバランス感覚があり一筋縄ではいかないコメディ映画だ。

ミッドナイト・イン・パリ エッフェル塔や凱旋門などを入れ込み、現代のパリを定番通りに映し出していくオープニング。冒頭からまるで観光PRのように軽く皮相な楽しさを演出する。が、それは実際に観光客でありパリにロマンチックな関心を抱く主人公の主観の反映でもあって、なかなか巧妙な映画なのだ。
 他にも不自然な独り言で自身の心理描写や状況説明をしてくれる陳腐な分かり易さがあるかと思えば、ギルたちが街角で話している場面ではその場の芝居と何の関わりもなく、走る車のタイヤの軋む音が聞こえてきて彼らがチラッとそちらを向き、また何事もなく会話を続けるという自然でリアリティを高める描写があったり、主人公の後景で通りすがりの人物が上着を落とし、少ししてからそれに気づいて拾う演技があったりする。陳腐な描写と何気なくリアリティを維持する演出はそのバランスの取り方も独特だ。

 主人公のギルは基本的に他者への敬意に欠けた愚鈍な自惚れ屋で、フランスかぶれの軽薄さも持ち合わせている。共和党支持者である婚約者の両親にわざわざ、共和党支持者は「頭がイカれてる」と言い放ち、素知らぬ顔で「お互いに尊重し合ってる」と自足していたり、口喧嘩の真最中にフォークナーを引用したりする嫌味な男だ。これで「似非知識人」が大嫌いというのだから笑ってしまう。
 主人公がすでにそんな感じなのだが、この映画の登場人物は皆揃いも揃って俗物ばかりで、ポールは知識人ぶってロダンとカミーユについての間違った講釈を聞かせてくれるし、イネスはギルの婚約者のはずが、そんなインテリ気取りのポールに憧れの眼差しを向けている始末だ。いくらコメディでもこれでは全ての人があまりに軽薄で皮相過ぎないだろうか?
 作品自体もインテリ気取りの映画と言えなくもない。西洋文化の知識を前提にして初めて楽しめるという、ある程度観客を選ぶ作りになっている。そんな映画を文化の異なる日本で日本人が見るとその自己陶酔的な嫌味ったらしさも倍増だろう。

 しかしその一方で、ギルが憧れの時代、憧れの人々に目を輝かせて喜ぶ姿は観客にも共感できるものだ。我々も皆それぞれそういう対象を持っているし、彼と同じ境遇になれば同じ反応を示すに違いないのだ。彼の鈍感さや軽薄さも我々に似ているのかもしれない。いや自分には似ていないが隣に座っているやつはきっとそうに違いない。ギルは我々の自画像でもあり、愚か者かもしれないが愛すべき愚か者なのだろう。

 ’20年代のパリで歴史上の芸術家たちが続々と登場してくる展開は実に面白い。フィッツジェラルド夫妻に始まってヘミングウェイ、ダリ、ピカソなど。観客が多少なりとも知っている人物がいかにもな外見で、いかにも”そんな感じ”の言動をするのが楽しい。その描写の魅力は観客の心理を盛り上げる助走を必要としていない。実在した人々が持つキャラクターの威力だ。彼らが出てくれば、ただそれだけで楽しく映画は盛り上がっていく。彼らは版権料も要求しないし、実にうまい手法だ。

 一般的な日本人からするとコール・ポーターやジョセフィン・ベーカーは知ったことではないかもしれないが、さすがにダリやヘミングウェイの場合はしっかりと主人公に共感できる。
 映画監督のルイス・ブニュエルはどうだろうか? 知ってさえいればギルが彼に『皆殺しの天使』のアイデアを教える場面は実に楽しい。登場人物たちがなぜか部屋から出られない状況を描いた映画で、なぜかは最後まで分からないという不条理な作品だ。ブニュエルがギルにしつこく何故なんだ?と聞くのには笑ってしまう。観客としては思わず「こっちがお前に聞きたいよ」と言ってしまいそうだ。
 他にもガートルード・スタインがギルの原稿を真面目に空想科学小説として論評してくれるし、ダリ、マン・レイ、ブニュエルたちはギルの荒唐無稽な告白に少しも動じない。未来から車に乗ってタイムスリップしてきた男と普通に話が通じてしまうとは、さすがは偉大な芸術家たちだ。
 さらに馬車に乗ると今度は19世紀末に行ってしまう。マキシムやムーラン・ルージュに行き、フレンチカンカンを見てふと気づくと、そこにいるのはロートレック、ゴーギャンにドガだ。ギルを尾けていた探偵の方はどうやらシェイクスピアの時代に行ってしまったらしい。どんどん加速して行くデタラメな展開は爆笑ものだ。

ミッドナイト・イン・パリ そして映画も終わりに近づき、定石通りに主人公であるギルは、結局人はいつも同時代より古き良き時代に憧れるものだという教訓めいた認識に達するのだが、何のことはない、よくよく考えてみれば、それはギルの嫌うエセ知識人ことポールが序盤ですでに語っていたことではないか。実に皮相だ。そこで映画は急遽、類型からはみ出して婚約は破綻、ギルは変わったようで少しも変わらずパリへの憧れを維持して、早速新たなロマンスに踏み出す。素晴らしいことに今度の彼女はイネスと違って雨が大好きだ。ここはパリなのだからそんな素敵なことが起こって当然なのだ。

 軽い人々を描いた軽い映画だがそれを作品自身が自覚していて、憧憬と自嘲の双方が込められている。いかにもウッディ・アレンらしい。気取っていて、嫌味ったらしく……皮肉半分で、だがもう半分は真面目に。
 そしてそんなこととは関わりなく過去の芸術家たちの描写が大いに楽しませてくれる、面白いコメディ映画だ。

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