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『飾窓の女』 フリッツ・ラングの描く虚構としての世界

監督 フリッツ・ラング 1944年 アメリカ映画

飾窓の女 夢の描き方が実にうまい。俗に言う夢オチ映画だが、その種の映画の多くがラストになって唐突にそれまでの展開を無効にして観客を白けさせるのに対して『飾窓の女』はまったく異なる。真逆だ。

 『飾窓の女』ではそれまで現実として扱われていた描写と展開が、ラストに至って虚構としてこそより相応しいものであったことを観客が驚きとともに発見する。通常の夢オチ映画と違って夢と分かって見た方が魅力的になるという変わった、そして優れた映画だ。

 一度見て ”夢オチだから” この映画が面白くなかったという人にはぜひ再見してみてほしい。ラストに至ってそれまでの過程がその性質を変化させ主観世界となることで、却って非常に興味深い内面描写としてより自然さを帯び、その上で意外性はしっかりと演出されているのが分かるはずだ。現実描写として観客にも許容できる表現でありながら、同時により魅力的な夢の描写であるように緻密に設計されている。

 描写される要素は冒頭から無駄なく全てが「昼間の残滓」を形成しながら、不自然さを感じさせず、さり気ない。まず、家族が偶々そばにいない状況が作られ、殺人の心理的側面について講義する人物が、飾窓の女に理想の女性像を見出し、検事に警句を与えられ、恋愛を謳いあげた書物を読みながら眠りに落ちる。見事に夢の構成要素が出揃っている。逆に言うとそれ以外の全ての要素を捨象している。カメラは人物たちを中央に収めて、彼らが動くとそれに合わせてゆっくり動く。古典的だ。
 導入は必要な布石が適切に置かれつつ、同時に自然で何気ない。

 主人公ウォンリーが眠りに落ちて目覚める場面はその時間描写がいい。彼が眠り、オーバーラップした時計のショットとそこに重なる声。この2カットだけで、眠る人物の主観的時間を捉えている。物語の展開上、重要な転換点となる場面が魅力的に描かれていて、描写の面からもきちんと映画全体の中でのアクセントとなっている。

飾窓の女 そして全編に見られる描写の不自然さとそれを作品内の自然な現実として扱う演出がこの映画の核だ。

 飾窓の女の絵画を見ていると実在の彼女がガラスに映り込み自ら語りかけ、酒場や自宅に誘ってくる展開はまさに夢のように非現実的で、ナイフで背中を刺された人物はなぜか血を流さず、傷も観客には全く視認できない。死体を捨てに行こうとするとタイミングよく住人が帰ってくる。そしてこんな時に限って警官に出くわし、有料道路の係員とは接触せざるを得ず、有刺鉄線には手を引っ掛けてしまう。

 これら唐突に幸運から不吉に変わる展開、あり得ない偶然の一致の連続、なぜかそれらの不可解さを放置して自然なことのように通り過ぎていく描写、何もかもが不条理な夢そのものだ。他にも検事や警視がなぜか直接捜査にあたり、彼を事件現場に同行させる不可解でありながら不思議と自然な展開、医者がタイミングよく薬を教えてくれる都合のよさ等々。そしてウォンリーは気持ちとは裏腹にうまく行動できず、倫理的な怯えと葛藤を抱え込み、隠したいことを自ら告白することをやめられない。

 実に分かりやすく、ここまであからさまに夢が描かれているのに観客は気づけない。我々はごく自然にその不条理な展開を作品そのもののリアリティのレベルと解釈してしまう。なぜなら我々観客は今まさに映画を見ているのだから…。最初の飾窓の女の登場を見てもその展開は現実ではあり得ない偶然であり、その他ほとんどの出来事が作為的で不自然なのだが、観客は当然のようにそれを映画の嘘として暗黙のうちに棚上げにしていたのだ。

 そして最終的にそれらの全てが作品内における現実から一登場人物の主観へとその性質を変化させると、陳腐であった現実描写が見事な内面描写に変身している。不自然で意味ありげな偶然の一致の数々が実にリアルで興味深い心理描写となっているではないか。俗に言う夢オチでありながら『飾窓の女』では夢が無意味な非現実として価値を失うことなく、主人公の主観表現として俄然意味を持ってくる作りになっている。映画が虚構であることを自覚的に利用した作品だ。

 『カリガリ博士』の脚本などを合わせてみても当時、フリッツ・ラングほど映画の虚構性を意識しそれを作品の構造に反映した人はいないだろう。『飾窓の女』が現代においても作品の価値を保っていることを考えれば、今もってそうであるのかもしれない。

飾窓の女 『飾窓の女』は夢をリアルに描き出し、それによって内面を表現した興味深い映画であり、一方でサスペンスフルで楽しい、優れた娯楽映画でもある。

 途中までは唐突な殺人や秘密の暴露を引き寄せていく不条理な展開が非現実的で不自然と感じられるかもしれないが、それを恐れる心理には現実的なリアリティがあり、興味を失うことなく見ていられるはずだ。そして最後まで見れば充実した内容を持つ非常に優れた映画となっていることに気づく。ラストで夢の登場人物が別の人格を持って登場してくるのもコミカルで、安心感をもたらし気持ちのいいハッピーエンドになっている。
 現実の世界に飾窓の女が実在しないのも象徴的だ。彼女、アリスこそ夢そのものであり、この映画の本当の主人公であったのかもしれない。

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