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『M』 悪とその処遇が炙り出す人と社会の矛盾

監督 フリッツ・ラング 1931年 ドイツ映画

M フリッツ・ラング この映画が描くのはあくまで一人の特異な人物と彼に対する様々な人間の反応であり、公私二つの性質の異なる集団がいかにして犯人に辿り着くかの過程だ。サスペンスやスリラーといった犯罪映画定番の要素を半ば素通りして物事の現実的なプロセスと人間そのものに執着する描写が重厚な印象を与える。

 被害者の母親の詳細な描写、市民の素朴で些か無責任な反応、マスメディアの報道、警察による社会の公的な捜査とより民衆に近い私的な犯罪組織の捜査が並行して進行する様子など、事件に対するそれぞれの反応が非常に丁寧に描かれていく。主人公という特別な存在を設定せず、全ての人物が同じように価値あるものとして扱われ、その結果、それら個々の描写の総体が社会そのものを浮かび上がらせていく。

 犯罪映画でありながらサスペンスや謎解きといった物語的な面白さが抑制され、描写の魅力によって観客を惹きつけるのも特徴的だ。

 少女が攫われようとしている時、並行して母親が彼女のために昼食を用意しながら帰りが遅いことを心配している様子が丁寧に描かれ、その対照がありふれた日常の美しさ、貴重さを露わにし、テーブルの上に空のまま置かれている皿、野原に転がるボール、飛んでいく風船と繋げる編集は、それを構成する全てのショットが本来そこにいるはずの存在を欠いていて、明瞭で不吉な暗喩となっている。

 他にも比喩的な関節描写や犯罪組織と警察のそれぞれの会議のクロス・カッティングなどの対照描写、カメラが物乞いの人々の詰めている店裏から店内に入っていき、そこから更に壁を上がり、覗き込んだ2階の窓から中へ入って人物のアップになる動きなど、面白い描写がいくつもある。警察署長が電話で捜査状況を説明する場面では、大規模で徹底的な捜査の様子がその語りと同時進行で映像化されて強い説得力を持ち、視覚的にも観客を飽きさせない。

M フリッツ・ラング そしてそれらの描写全般、特に警察や犯罪組織が犯人を追い詰めていく過程はリアリズムそのもので観客を惹きつける。その正攻法的で優れた描写がサスペンスやミステリー要素の希薄さなどまったく問題にしていない。

 その中で犯罪組織の人間たちが事件の犯人を明確に自分たちと異質な存在として認識している描写は興味深い。警察から犯罪組織に至るまで立場を異とする多様な人々が犯人への憎悪だけは共有していて、まるで全人類が一致して彼の存在を否認しているかのようだ。

 そして人々の事件に対する多様な反応が細やかに描かれる一方で、犯人自身の心理もそれに劣らず入念に描写される。標的にした少女を取り逃がし酒やタバコでその衝動を紛らわせようと苦しんでいる様子や、彼なりに真摯な内面の告白が描かれ、それに対し民衆が殺意を剥き出しにする人民裁判も描かれる。
 視点にまったく偏りがなく、犯人を含めた全ての人物の心理が広範に描写されるのがこの映画の最大の特徴であり魅力だ。

 クライマックスでの犯人の告白には異常な迫力がある。カメラは真正面から彼を捉え、彼は一瞬カメラを、観客を見据えてから語り始め、聴衆は静まり返る。まさにクライマックスだ。その力強い演出とピーター・ローレの迫真の演技、さらに彼の主張に感じられる強烈な心理的リアリティからその述懐は簡単に無視できるようなものでは全くない。彼と社会の抱える矛盾はほとんど現実と地続きとなって我々観客に迫ってくる。

M フリッツ・ラング 彼はここまで警察から犯罪者に至るまでの全ての人々に憎悪されてきた。もちろん我々観客もそこに感情移入してきたのだ。しかし、もし彼の言う通りその行動が自らの意志によらず強制されたものであるなら、我々は彼を罰することができない。いや、それどころか逆に我々はその内なる強制が自らには宿っていない幸運に感謝すべきだろう。彼は哀れな被害者だ。だが、その考えを認めたとしても人々が自らの生存のために脅威を排除しようとするのを止められるだろうか? それを病気と呼んだところでその完全な治癒は現実には不可能に近いだろう。犯罪組織の人間が主張する通り、見掛け上の治癒、退院、再犯はほとんど確実なことのようにも思われる。そもそもそれは病気なのか? むしろ普遍的な人間性の一部ではないのか?
 彼を殺せという主張に現実的な正当性が感じられる一方で、警察への引き渡しを要求する彼の社会的に正当な主張を大勢が嘲笑う描写の不気味さはどうしたことか。

 我々には少し荷が重過ぎる問題だ。それゆえ非常にインパクトのある表現になっているのだが…。ただ重厚な犯罪映画として楽しんでおくだけにした方が精神衛生上は無難なのかもしれないが……しかし……。

 『M』は人間と社会の抱える矛盾を描き、中でも悪の描写は僅かに普遍性さえ感じさせ、自由意志についてまで考えさせる。殺人への衝動ではなくとも内なる強制はおそらく全ての人間の心の内に宿っているだろうからだ。そして、観客は映画が終わってもその問題が他ならぬ自分自身に突きつけられ、そこに留まり続けているのを感じるだろう……

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