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『天国と地獄』(2) 人間の抽象化と悪の普遍性

監督:黒澤明 出演: 三船敏郎・山崎努・仲代達矢 1963年

 描かれる内容が非常に興味深い。内容面では『天国と地獄』は傑出した二人の人物とその相克を描いた映画と言えるだろう。三船敏郎演じる権藤と山崎努演じる竹内の二人だ。後半部の展開では戸倉警部の意志が竹内の運命に対して決定的な影響を与えている一方で主人公の権藤はほとんど出番がなく点景人物のようにも見えるが、この映画がその心理を真に深く入念に描いていると言えるのは権藤と竹内だけだ。

『天国と地獄』権藤に竹内の像、竹内に権藤の像がそれぞれ重なり合う
 権藤に竹内の像、竹内に権藤の像がそれぞれ重なり合う
 前半、思いもよらぬ事件に巻き込まれることで権藤の個性的なキャラクター、その強い意志と人間的な魅力が十全に発露する。彼は社長や他の重役たちと一人敵対して戦う強さを持ち、自分の命とまで言いきる仕事を他人の子供のために抛つ。英雄となる資格を持った、まさに主人公に相応しい人物だ。一方で竹内は不条理な悪意をもって権藤を陥れ、常人とは異質な発想と行動力、緻密な戦略によって警察を出し抜いてしまう。こちらも権藤に拮抗するだけの存在感を備えた強烈なキャラクターだ。

 二人は育った年代は違えど同じように貧しい境遇に生まれている。権藤は大きな企業の重役になり社長を狙う位置にまで昇りつめているが、それでいて自らの誠実さを犠牲にしたことがないという稀有な人物である。竹内の方はまだ人生の途上にあるが、おそらく貧困の中で勉学に勤しみ優秀でもあったのだろう、医学部を出てインターンとなっている。現在は貧しくてもほぼ将来の成功が見えている状態だろう。しかし、なぜかそこで突然、誘拐事件を起こす。実に不可解な人物だ。二人は似た境遇からスタートしていながら以後、それぞれが自らの性質に相応しい環境を引き寄せていく。

 まず、事件が権藤の置かれた状況とその人間性を露わにし、それが警察の捜査員たちに職務を越えた感情移入を促す。やがて事件が報道されるとラジオのアナウンサーは感情丸出しで「今度は権藤氏が君を笑う番だ」と犯人に向かって宣言し、マスコミや一般の人々が皆揃って権藤を賞賛する。戸倉警部はその職務権限を越えて権藤の被った損害に見合った報復を犯人に与えようと努力し、マスコミは嬉々として警察に協力する。権藤を社長に迎え入れる企業があったことも後に明かされる。まるで社会全体が一致して彼の存在を肯定しようとしているかのようだ。

 そしてそれらは同時に正しく背反して竹内が全ての人に忌み嫌われていく過程でもある。戸倉が罠を仕掛けて彼を死刑に追い込もうと画策した時、そこには捜査本部長など彼の上司も含め多くの捜査員が詰めているが、その法を逸脱した異例な判断に誰一人反対する者がいない。竹内は自身の悪意を反映したかのような実に極端で広範な嫌悪に晒されている。権藤を肯定する同じ強さで世界が彼の存在を否認しているようだ。

 これら、ともに才能ある二人の人物が似た境遇から出発し、両極端な環境を引き寄せていく展開が非常に興味深い。もし、これを運命論と呼ぶなら運命はそれぞれの人格の中に宿っていると言えるだろう。


 この映画は具体的には特殊な二人の人物を描きつつ、抽象的には普遍的な人間を描いていて、映画における人間描写としては一つの究極に達している。
 まず、人物の設定と物語が二人を反転した鏡像として描き出す。そして、彼らの極端に相反する強烈なキャラクターとそれに対する社会の対照的な反応がそれぞれに反響し合い、却ってその両極端なレンジの中に人間という存在そのものを浮かび上がらせていく。その上で最終的に分裂し反転した二つの像を映像が重ね合わせ、それはもはや権藤でも竹内でもなく、"人間" という名の非人称の抽象的な存在となる。高潔さと不条理な悪意を合わせ持つ不可解な存在……人間だ。
 黒澤のドストエフスキー愛好は有名だが、この作品を見るとそもそもの両者の資質に非常に近しいものがあるように見える。

『天国と地獄』花々の中の殺人者、そのサングラスの中の月と海
  花々の中の殺人者、そのサングラスの中の月と海
 特に竹内のキャラクターは山崎努の素晴らしい演技もあって非常に魅力的だ。特異な人物でありながら普遍性を感じさせる。彼には具体的な動機がなく、その抽象性が人間に内在する悪を普遍的にしている。
 彼はインターンであり、もちろんこれまで犯罪を起こしたことなどないだろう。しかし、人生設計がすでに出来上がっていてその階段を上っている途上で唐突に事件を起こす。それも会ったこともない人物に対する憎悪によって、だ。常識では到底理解できない異常な心理だ。丘の上に居を構えたのが別の人物だったら権藤は被害を免れたのだろう。全く無作為で純粋な悪意であり、しかも竹内にとってはそれが極めて高い価値を持つことも明白だ。彼は頭もよく、地位や名誉、経済的成功に向かって順調にキャリアを積んでいる状態であり、当然、誘拐事件にはそれを賭けるだけの至高の価値があるのだ。
 無根拠で対象を選ばず、極めて純粋で一途な悪意、それは抽象化された悪そのものだ。この竹内の内に設定された悪がこの映画における全ての出来事の起点となり求心点となっている。この映画が真に描いているのは抽象化された人間と、同じく抽象化された悪であり、それによってこそその表現は普遍性にまで到達したのだろう。

 『天国と地獄』は人間とそこに内在する悪を他に類を見ないほど徹底的に追い詰め、抽象的、普遍的に描き出した暗く重い傑作だ。

 一方で勿論この映画はスリリングな娯楽作品として楽しめる映画でもある。その場合も竹内は素晴らしい悪漢ぶりと言えるだろう。教誨師の面談を拒絶し続け、敗北が決定した後においてさえ、自分から権藤を呼びつけて対決するなど、悪漢の中の悪漢だ。その後に来る見事な負けっぷりを含め、その魅力は山崎努の演技に負うところも大きい。

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