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『浪華悲歌(なにわえれじい)』偶有性と女優の演技

監督:溝口健二 脚本:依田義賢 出演:山田五十鈴 1936年

『浪華悲歌(なにわえれじい)』山田五十鈴 物語を語る中に一人の女性の様々な側面を描き出したシナリオと、気弱そうに見える女性がタバコを吐き捨てる「不良少女」になるまでを演じた山田五十鈴が、まず最初に気づくこの映画の魅力だ。

 山田演じるアヤコは貧しく荒んだ家庭の娘であり、同年代の恋人がいる若い女性だ。一方で豪華なアパートに囲われた愛人であり、男を騙す悪女でもある。伝統的な着物姿からモダンな洋装までを披露し、喜び、困惑し、男に甘え、毒づき、様々な表情を見せる。

 視覚面では、ほとんど固定されたカメラが、時折大胆に動いて場の空間を描いて見せてくれる。

 社長の奥さんが部屋を出て事務所に入っていくのを追って、カメラは壁を突き抜けて事務所の内部を見せていく。部屋の調度品、書類を読みながら歩く男性、タイプを打っている女性、奧さんに挨拶をしてから座る男性など。そしてそれらに注意を促すことなく移動していく視点によって、その場の雰囲気がリアルに演出される。
『浪華悲歌(なにわえれじい)』社内の様子を見せる移動撮影 更に主人公のアヤコをアップで捉えたカメラがその後に、奥さんを含めた全ての人の演技が継続されているのを見せる。その一連の描写に臨場感が溢れている。
 社長が用意した豪華なアパートでも、社長が入っていくのに合わせて玄関から入り口、階段、部屋の中と描いて、きちんとその空間を観客に感じ取らせてくれる。その他、文楽座の内部なども含め、空間の描写に魅力のある映画だ。

 文楽座や心斎橋そごう、村野藤吾設計の道頓堀の「キャバレー赤玉」など、戦前の大阪の街をリアルに写し取った映像も非常に新鮮で、この点では経年によって却って魅力を増している。


 しかし、この映画の物語と人物設定の特異さには驚嘆させられる。いや、困惑させられると言った方が適切かもしれない。それが1936年当時に画期的だった描写のリアリズムなどより、ずっと強烈にこの映画を特徴づける要素となっている。

 主人公のアヤコは父の横領した300円のために社長の愛人になり、兄の学費200円のために株屋を騙して事後的な美人局のような行為を働く。それらの行動は家族のための自己犠牲としては報われないが、詐欺行為としての面ではたっぷりと報われて、警察に捕まり、恋人には捨てられ、新聞に報道される。そして、そんな彼女を家族は拒絶するのだ。

『浪華悲歌(なにわえれじい)』アヤコに翻弄される株屋とススム 理不尽な冷淡さを露わにする家族も異常だが、それにしても躊躇なく詐欺を働いて、平気で恋人を巻き込む彼女の倫理観と常識も相当に歪んでいると言えるだろう。社会的に自分より優位な立場の人間を騙して、怒らせるだけ怒らせておいて、驚くべきことに相手の口を封じる手立ては何もない。その必要も感じていないようだ。そして結婚を考えている相手にその一部始終を何の衒いもなく晒して共犯者にしてしまう。
 その破滅的な言動は、彼女の頭の悪さと思考の不可解さを雄弁に物語っている。

 父親は父親で、借金返済と就職をアヤコに世話してもらい、アヤコが騙し取ってきた兄の学費も自分の手柄にしてしまうような人物であり、兄や妹もアヤコに感謝するどころか、非難の眼差しを向けて拒絶し、なぜかアヤコが用立ててくれた500円の経緯には全く触れようとしない。非常に不自然で、悪意の込もった振る舞いだ。
 アヤコもなぜか自らの自己犠牲を家族に告白しない。それは奥床しくも愚かな彼女の性格を示しているのか? 彼ら相手にそんなことで言い争っても無駄だと知っているからだろうか? それならなぜ彼らのためにそんな行為をしたのか?
 彼女たちの複雑怪奇な心理は観客の理解の外だ、という他ない。

 実際のところ、かなり無理のある展開で、人物の設定と描写が破綻していると言った方が適切かもしれないが、不可解な人々で構成された不可解な家族を描いているのだ。

『浪華悲歌(なにわえれじい)』険悪な関係の家族 つまり、この映画は特殊な人々がもたらす特殊な物語を語っていて、その内容にまったく普遍性を持っていない。前衛的であるとともに非常に作為的でもあり、一般的には、歴史的価値はあっても今見て面白いという映画ではない、と言えるかもしれない。
 しかし、その特異さ故に醸成される不条理と裏側に僅かに感じさせる実存主義的な傾向が、この映画の最大の特徴であり、美点ともなっている。偶有性と女優の演技を愛する観客には興味深く面白い映画だろう。

 『浪華悲歌』は普遍的であるからではなく、偶有的であることで価値を持った映画なのだ。鑑賞者によって評価が二分されてしまうような性質を備えている。普遍性より偶有性を描くその特異さは日本では後継者を持たなかったが、およそ四半世紀後、ずっと遅れてフランスに同様の性質を持つジャン=リュック・ゴダールが現れている。
 映画の一つの傾向を代表する作品として、またその源流として今も生きている映画だ。

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