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『散歩する侵略者』主題と表現の齟齬

監督:黒沢清 出演:長澤まさみ・長谷川博己 2017年

散歩する侵略者 揺れるカーテン 概念を奪うというアイデアが興味深い。なのに、この映画はそれを掘り下げてくれない。宇宙人たちは「概念を奪う」と言いながら概念を奪わず、家族への親近感や所有欲、自他の区別、敵意、愛などといった感情や認識能力そのものを奪う。その上なぜか奪い取った愛には自分が影響を受けてしまうらしい。奪い取るのが愛の概念ならそんなことは起こらなかっただろう。
 これも矛盾に満ちたこの映画のノンセンスの一部を形成しているのだが、言語、概念、実態それぞれの関係を表現できる優れた着想を導入しながら、そこに踏み込まなかったのは非常に残念だ。

 表現面では類型からずれた個性的な描写が面白い。
 カーテンを揺らし、風車を回す風は心地良いし、序盤、病気の夫であるシンジへのナルミの邪険な態度に観客が不自然さを感じると、すぐにナルミの口からその理由が語られ、当事者のシンジが観客の心理を代弁するかのように「なるほど」と答える。
 他にも「米軍は出て行け!」の看板の前に丁度いい写り具合で停車する車のショットはいかにもな映画的類型を顕示するし、面白い描写はいくつもある。

散歩する侵略者 看板が観客に見えるように止まる車 物語も序盤は自称宇宙人が本当に宇宙人なのか、精神病患者なのかが分からず、スリリングに展開していく。隠蔽されたリアリティの水準が、作品世界を現実性とSFの間で宙吊りにして緊張感を維持している。

 ただ、自称宇宙人たちが宇宙人として意味が確定して、作品自体のリアリティの水準も明らかになってしまうと、個性的な描写の面白さは影を潜めていき、物語の展開からはリアリティが失われていく。恋愛、アクション、ギャグなど多数のジャンル要素が織り込まれていき、最終的には大仰に戦争や愛を語る「宇宙戦艦ヤマト」のような陳腐な物語に辿り着く。

 愛の力によって人類が救われる物語は、キリスト教教会の描写で丁寧に前フリされ、ラストでは愛を喪失した人間の虚無を描いて逆の方向からも強調する念の入れようだ。
 細部の展開もデタラメで、警察や武装集団の非現実的な間抜け具合によって、殺人事件を起こし公衆の面前でひき逃げをしても犯人は簡単に逃げおおせてしまう。
 その物語を彩る意匠もまるで ’60〜 ’70年代頃の空想的な平和主義者の世界観から抜け出してきたかのように陳腐で、所有を忘れた引きこもりが平和を叫び、敵意を忘れた男が友愛に目覚めて敵に微笑む。国家権力は無能極まりなく、ジャーナリストは国家を敵視する一方で民衆には真摯に呼びかけるヒーローであり、大衆は常に真実に気づかぬ愚か者なのだ。

散歩する侵略者 宇宙人の侵略 パロディではあっても、これらを笑える感性を持った観客は希少だろう。そのナンセンスはあくまでシリアスに描写されてしまうことで、今ひとつ楽しめないし、逆にいくらシリアスに描かれてもナンセンスはナンセンスであり、観客が真剣に受け止めることもできない構造になっている。
 多様なジャンルを横断していくところに黒沢の個性が出ているのだが、そのために作品は映画に必要なリアリティを喪失していて、観客としては残念なところだ。同種の趣向を持つコッポラの「胡蝶の夢」ではジャンル横断がリアリティの水準の隠蔽と一体になっていたことを思い出してみてもいいかもしれない。

 すべての面で、パロディにもシリアスにも振り切れないまま終わってしまう映画であり、大半の観客にとってはあまり面白い映画ではないだろう。一方で概念と概念の間に潜り込もうとする表現のスタイル自体は面白く、きっと今回はその方法に計算違いがあったのだろう。

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